『大日本史料』 1編 21 永観 2年 3月~雑載 p.295

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もやあらむ、此人の傳世に傳はらす、甲斐國のある武士の子なりしか、世のさわきを, し職名なり、ちかき世まても其名目遺りて田舎にありし事ものに見えたり、其處の長, にもとつき、又かの和氣本に和名傳鈔と題し、奥にも和名鈔といへるなとによりて、, はれるよしなり、苟愚舎はいはゆる家號なるへし、總領は日本紀にもみえて古へあり, 今本草の二字を加へて本草和名傳鈔といふ、和名抄といひては順朝臣の和名鈔なとゝ, 紛らはしく、又本草といはては事たらぬこゝちすれは、輔仁ぬしの本草和名といへる, さけて醫となり、丹波家の醫道をよく受傳へて、名たゝるくすりしなりと世にはいひ, たちたる古き家からの者をいふ號なり、この苟愚舍は世にしられたる甲斐國の徳本に, 傳ふるなり、なほしれる人に尋ぬへし、, 生甲斐國志村之總領之末子也、奧州合戰零落之終云々とあるは、甲斐國人某が寫し傳, 上に論ふことく、此書原本定りたる題名なきかことし、かれ卷々に康頼和名撰とある, 普通本は原本にもあることく、丹波長平の本を和氣某の, 醫心方の和名なとを書加へたるものなり、其よしはあら〳〵よみ考へて上條に云ふか, ことし、, 寫して, さきにもいふ如く、其名の明, 字の下裁切れて知りかたし、, 徳本カ, 鈔ト私ニ名, 本草和名傳, 苟愚舍トハ, 付クル所以, 永觀二年十一月二十八日, 二九五

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  • さきにもいふ如く、其名の明
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  • 徳本カ
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  • 本草和名傳
  • 苟愚舍トハ
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  • 永觀二年十一月二十八日

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  • 二九五

注記 (24)

  • 1405,701,61,2184もやあらむ、此人の傳世に傳はらす、甲斐國のある武士の子なりしか、世のさわきを
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