『大日本史料』 2編 1 寬和2年6月~正暦4年6月 p.118

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一飯石念珠顆六箇, 堂これなり, なこゝろをあはせて、信敬のかうへをかたふくる事比類なきもの也、, 栖霞の西の臺を清凉寺となつけて、天竺の靈鷲山、震旦の五臺山等のもろ, もろの聖迹の土、一坏を入て壇をつき、瑞像の厨子を安置し奉る、故に日本, 有驗の靈場、天下無雙の瑞像なり、上一人を始、下庶人に至るまて、〓仰のた, あるをもて、いまに請要米とかうしてこれあり、, 當寺の靈寶、むかしはその數おほしといへとも、大略紛失す、一書云、, こにいつくの人ともしらさる老僧、朝ことに鉢をひらき給へり、地下人見, なれぬ人なれは、不思議のおもひをなし、在所の上米を日々に供養す、奇瑞, 宇、長和五年丙辰三月十六日なり、入滅已後、弟子盛算かさねて奏聞を經て、, 一寫多羅葉法華壽量品, 清凉の建立宿願いまたとけさるに、〓然寂滅す、時に六十七代三條院の御, 一靈鷲山金剛寶座下石一片, 〔清凉寺縁起〕六瑞像來朝の時、豐後國直入郷に、しはらく御逗留あり、こ, 彌勒大士、造〓伽, 論之時、所持云々、, 略ス, ○繪, 略, ○中, 名ク, 栖霞寺ノ, 後直入郷, 釋迦像豐, 清凉寺ト, 〓留中ノ, 奇瑞, 西ノ臺ヲ, 永延元年二月十一日, 一一八

割注

  • 彌勒大士、造〓伽
  • 論之時、所持云々、
  • 略ス
  • ○繪
  • ○中

頭注

  • 名ク
  • 栖霞寺ノ
  • 後直入郷
  • 釋迦像豐
  • 清凉寺ト
  • 〓留中ノ
  • 奇瑞
  • 西ノ臺ヲ

  • 永延元年二月十一日

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  • 一一八

注記 (31)

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