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此帳に見えたる如く、, れど、そは後世に傳らず、但朝野群載卷二に、承和再修廣隆寺縁起あり、こは, し、則その文にいはく、, 但本寺造進解状に、猶まぎらはしきをち〳〵あれば、次に委しく論らふべ, 一町云々の一行もあるべし、此くたりなきからは、是はた貞觀の帳なる事, 謹案新格、勘觧由使起請〓、, しるかり、かゝればまづ甲卷の方は、貞觀十五年の草なる事一定と云べし、, 當寺家への牒状なり、三月九日は貞觀十五年なり、, 按ふに、縁起資財等帳とあるは、當時此帳と倶に、縁起をも造進ありしなめ, もへば、當時も夫を用ゐられしにも有べし、又當寺縁起一本あれど、そは後, 偖又僧綱牒とあるは、公の僧綱所より, 弘仁九年の燒亡の後、再修ありしものとお, 以前縁起資財等帳、被僧綱今年三月五日牒稱、, 按ふに、此文三代實録卷十三、貞觀十年六月廿四日條には、撰格所起請十三, 嵯峨院の御代まての事見ゆれば、いと後世にかけりしものなり、, 此解状の奧に年號なけ, を、明應八年に再び撰定せし本なは, 既に上件, に所收の廣隆寺來由記は、此後世(, 群書類從, れば、何れの年ともしり, 卷四百卅, に載たり, がたきに似たれど、此帳當年造進の事、既に云ご, とくたしかなれば、おのづからさはしられけり、, 長和三年五月五日, 二二八
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- 此解状の奧に年號なけ
- を、明應八年に再び撰定せし本なは
- 既に上件
- に所收の廣隆寺來由記は、此後世(
- 群書類從
- れば、何れの年ともしり
- 卷四百卅
- に載たり
- がたきに似たれど、此帳當年造進の事、既に云ご
- とくたしかなれば、おのづからさはしられけり、
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- 長和三年五月五日
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- 二二八
注記 (27)
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