『大日本史料』 2編 11 長和5年8月~寬仁元年6月 p.264

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せ給へりしかは、かくてあまりみくるしとて僧都は乞食とゝめ給てき、, 廉義公一女、母正三位嚴子女王、中務卿代明親王女、, をこなはせ給し、毎年の季御讀經なとも、常のことゝもおほしめしたらす、四日かほと廿人, 五日爲皇后宮、長徳三年三月十九日出家、長保二年二月廿五日爲皇大后宮、長和元年二, 御そたてまつり、かきりなくきよまはらせ給て、僧にたふものともは、先御前にとりすゑさ, ていみしき御時をまうけつゝまいりしに、このみやにはうるはしくかねの御器ともうた, 天元々年四月十日入内、同五月廿二日爲女御、同五年三月十一日爲中宮、正暦元年十月, す、四条の宮とそ申めりし、いみしき有心者・有識にそいはれ給し、功徳も御いのりも如法に, 供養せさせ給ひ、御前よりもとりわきさるへきものともいたさせ給、御みつからもきよき, せてをかせ給てのちにつかはしける、恵心の僧都の頭〓行せられけるおりに、京中こそり, の僧を房のかさりめてたくてかしつきすゑさせ給ひ、ゆあむし、時なとかきりなく如法に, 月十四日爲太皇大后宮、寛仁元年六月一日崩、年六十一、同五日葬禮、, 太皇大后宮遵子、御事圓融院后、, 寛仁元年六月一日, 遵子, ヲ以テ供養, 源信ノ托鉢, ニ美麗ノ器, 歸依シ給フ, 法會ヲ嚴修, セラル, シ給フ, 深ク佛道一, 寛仁元年六月一日, 二六四

頭注

  • ヲ以テ供養
  • 源信ノ托鉢
  • ニ美麗ノ器
  • 歸依シ給フ
  • 法會ヲ嚴修
  • セラル
  • シ給フ
  • 深ク佛道一

  • 寛仁元年六月一日

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  • 二六四

注記 (25)

  • 930,608,63,1746せ給へりしかは、かくてあまりみくるしとて僧都は乞食とゝめ給てき、
  • 683,715,59,1251廉義公一女、母正三位嚴子女王、中務卿代明親王女、
  • 1670,605,62,2231をこなはせ給し、毎年の季御讀經なとも、常のことゝもおほしめしたらす、四日かほと廿人
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