『大日本史料』 2編 15 寬仁3年10月~4年7月 p.120

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

て、阿闇梨も心寂も其れより歸へり給へりけり、けに心憂き事かな、我か身の參らぬ, は、我もともなひ奉らんと云人、五十餘人に及ひけるか、播磨國明石の浦まては卅人, 鷲の御山・祇園精舍なとの床敷覺給へりけれは、日數へて渡らんする營み侍りけるに, に落成り給へり、筑紫にては皆落給ひて、只阿闇梨と心寂公と計二人に成り給へり、, かまれ給へりけるとかや、此阿闍梨、道心深くして、昔釋尊の御法を説き給へりける, 賀聞之〓下、病患立癒、以誦經誦呪治病驗人常也、以能説消患所希有歟、祚生平所爲, 宇佐の宮に詣て、船路の程に哀みを懸させ給へと祈給けるに、神明、中天竺の佛法は, に不似、佛法すへてかたなし、思ひとまれとそ御託宣侍ける、佛法の衰にける事を悲, 昔、三井の禪徒にて、慶祚大阿闇梨と云人いまそかりける、智行共に備て、月輪觀を, 跡なし、祇園精舍は虎のふしと成、白鷺池は草のみ茂り、流砂もはけしく、葱嶺も昔, まても、昔御法を説かせ給し所所の佛法も盛に侍りと聞く物ならは、たのもしく侍へ, こらし給けるには、彼庵の松の木の上に明靜なる月のあらはれ出給て、まのあたりを, 〔撰集抄〕四慶祚阿闍梨入唐留事, 多此類也、寛仁二年十二月二十二日寂、年七十三、, シテ月ヲ現, 釋迦ノ遺蹟, 託宣ス, 渡天ヲ斷念, ヲ巡拜セン, ルハ二人ノ, 宇佐八幡佛, 蹟ノ荒廢ヲ, 月輪觀ヲ修, 筑紫ニ到レ, トス, 寛仁三年十二月二十二日, 一二〇

頭注

  • シテ月ヲ現
  • 釋迦ノ遺蹟
  • 託宣ス
  • 渡天ヲ斷念
  • ヲ巡拜セン
  • ルハ二人ノ
  • 宇佐八幡佛
  • 蹟ノ荒廢ヲ
  • 月輪觀ヲ修
  • 筑紫ニ到レ
  • トス

  • 寛仁三年十二月二十二日

ノンブル

  • 一二〇

注記 (27)

  • 447,592,70,2075て、阿闇梨も心寂も其れより歸へり給へりけり、けに心憂き事かな、我か身の參らぬ
  • 1000,596,71,2078は、我もともなひ奉らんと云人、五十餘人に及ひけるか、播磨國明石の浦まては卅人
  • 1113,589,71,2081鷲の御山・祇園精舍なとの床敷覺給へりけれは、日數へて渡らんする營み侍りけるに
  • 890,592,72,2055に落成り給へり、筑紫にては皆落給ひて、只阿闇梨と心寂公と計二人に成り給へり、
  • 1222,602,73,2068かまれ給へりけるとかや、此阿闍梨、道心深くして、昔釋尊の御法を説き給へりける
  • 1775,597,75,2085賀聞之〓下、病患立癒、以誦經誦呪治病驗人常也、以能説消患所希有歟、祚生平所爲
  • 778,588,73,2082宇佐の宮に詣て、船路の程に哀みを懸させ給へと祈給けるに、神明、中天竺の佛法は
  • 557,590,72,2080に不似、佛法すへてかたなし、思ひとまれとそ御託宣侍ける、佛法の衰にける事を悲
  • 1444,592,73,2081昔、三井の禪徒にて、慶祚大阿闇梨と云人いまそかりける、智行共に備て、月輪觀を
  • 667,588,74,2083跡なし、祇園精舍は虎のふしと成、白鷺池は草のみ茂り、流砂もはけしく、葱嶺も昔
  • 336,589,69,2069まても、昔御法を説かせ給し所所の佛法も盛に侍りと聞く物ならは、たのもしく侍へ
  • 1336,604,68,2068こらし給けるには、彼庵の松の木の上に明靜なる月のあらはれ出給て、まのあたりを
  • 1565,580,73,908〔撰集抄〕四慶祚阿闍梨入唐留事
  • 1673,595,65,1229多此類也、寛仁二年十二月二十二日寂、年七十三、
  • 1472,237,38,206シテ月ヲ現
  • 1294,227,42,216釋迦ノ遺蹟
  • 741,221,39,122託宣ス
  • 607,221,42,215渡天ヲ斷念
  • 1252,229,40,207ヲ巡拜セン
  • 918,231,39,201ルハ二人ノ
  • 828,223,41,213宇佐八幡佛
  • 785,222,41,213蹟ノ荒廢ヲ
  • 1516,231,41,213月輪觀ヲ修
  • 961,223,42,207筑紫ニ到レ
  • 1212,232,29,69トス
  • 1902,709,46,473寛仁三年十二月二十二日
  • 1890,2237,43,113一二〇

類似アイテム