『大日本史料』 3編 12 天永2年9月~天永3年2月 p.230

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〔中外抄〕下久安元年八月十一日、朝候御前、, 物と思食たりけるにやあらん、仰云、堀川院、故殿なとは、いとさまても思食さりけるにや、, ししかハ、毎日ニ希有のさまして參入して、物を申しけれハ、二條殿ハをしれえほしして令, りこたせ給なん、紙を四五卷續テ、只今可令馳參給、今日天晴なと令書可給、十廿卷たにかゝ, 攝政關白必しも漢才不候ねとも、やまとたましひたに、かしこくおはしまさは、天下ハまつ, 予申云、匡房卿をハ、堀川院いみしき, たへさせ給へりけり、そのふみは匡房の中納言よりつたはりて、よみつたへたる人かたく, 久安四年七月一日、依召參小松殿、於御前被仰雜事次被仰云, 出逢給き、我參詣之時ニ、故殿仰云、此男學問ヲせぬこそ遺恨なれと被仰しかは、匡房卿申云、, 二條殿のいみしき物思食たりしなり、匡房者小二條ニゐたりき、二條殿ハ二條ニおはしま, 申云、不見候、仰云、尤遺恨也、故二條殿いみしき物ニせさせ給き、彼ハ二條北、東洞院西ニあ, はへなるを、この殿そつたへさせ給へりける、, せ給なは、學生にハならせ給なんと申き、, はうちの左のをとゝよりなかときこえ給し、, 又仰云、江帥ヲハ見きや、, のおほんさえもひろき人になんきこえ給し、堀川大納言に前書とかきこゆるふみうけつ, 其左のをとゝは御みめもよくをはし、身, ○中, ○中, 略, ○中, ○下, 略, 略, 略, 攝政關白, ノ教養ニ, 源師頼ニ, 前書ヲ傳, ツキテノ, 説, 天永二年十一月五日, 二三〇

割注

  • ○中
  • ○下

頭注

  • 攝政關白
  • ノ教養ニ
  • 源師頼ニ
  • 前書ヲ傳
  • ツキテノ

  • 天永二年十一月五日

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  • 二三〇

注記 (33)

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