『大日本史料』 5編 2 貞応2年6月~嘉禄元年12月 p.699

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を申なし侍り、七條の將軍頼經と申は是也、, にて、大將の後は、ひとへに鎌倉を管領せられ、いみしく成敗ありしかは、承, めにて、二代將軍の母なり、大將のあやまりあることをも、此二位の教訓し, れしか、されは女とてあなつり申へきに非す、昔は女體のみかとのかしこ, は、承久のみたれの時も、二位殿の仰とて、義時も諸大名共に廻文をまはし、, 侍し也、大將の後は、一向に鎌倉を管領せられて、いみしき成敗とも有しか, 久のみたれの時も、此二位殿の仰とてこそ、義時も諸の大名には下知せら, 下知し侍りけり、貞觀政要と云書十卷をは、菅家の爲長卿といひし人に、和, 鎌倉の右大將の北の方、尼二位政子と申しは、北條の四郎平の時政かむす, て光明峯寺の關白の末子を鎌倉へよひ下し、猶子にし侍りて、將軍の宣旨, 字にかヽせて、天下の政のたすけとし侍りしも、此二位尼のしはさ也、かく, 〔小夜のねざめ〕近くは鎌倉の右大將の北の方尼二位殿は、二化將軍の母, 〔樵談治要〕一簾中より政務ををこなはるゝ事, 政子, 時政, 頼朝將軍室、從二位、法名如實、又號妙觀上人、頼家實朝母、九年居將軍, 位、雖然無宣旨、尼將軍是也、嘉祿元年七月十三日薨、行年六十九歳、, 法名明盛、號願成就院、, 北條四郎、從五位下、遠江守、, ヲ和字ニ, 書セシム, ト號ス, 妙觀上人, 貞觀政要, 嘉祿元年七月十一日, 六九九

割注

  • 頼朝將軍室、從二位、法名如實、又號妙觀上人、頼家實朝母、九年居將軍
  • 位、雖然無宣旨、尼將軍是也、嘉祿元年七月十三日薨、行年六十九歳、
  • 法名明盛、號願成就院、
  • 北條四郎、從五位下、遠江守、

頭注

  • ヲ和字ニ
  • 書セシム
  • ト號ス
  • 妙觀上人
  • 貞觀政要

  • 嘉祿元年七月十一日

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  • 六九九

注記 (26)

  • 712,629,57,1302を申なし侍り、七條の將軍頼經と申は是也、
  • 475,636,64,2227にて、大將の後は、ひとへに鎌倉を管領せられ、いみしく成敗ありしかは、承
  • 1414,637,61,2218めにて、二代將軍の母なり、大將のあやまりあることをも、此二位の教訓し
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