『大日本史料』 5編 3 嘉禄元年是歳~安貞元年6月 p.892

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り、西山の粟生, 嵯峨に渡置奉りて、在所口外すべからざる旨、各佛前に誓て退散しぬ、しか, つして、遠忌を修する門々戸々に、誰の人か三五夜中の光を惜まざる、禮奠, るを猶山門のいきどほりふかく、さぐり求べきよし其聞へ有しかば、五ケ, 日を經て後、同廿八日の夜、忍て廣隆寺の來迎房圓空がもとに移し置奉り, 上人の御遺骸は、翌年, て、其年はくれにき、, 正月廿五日曉、更に廣隆寺よ, ち、異香庭にかほる、彌往生の望をなし、ます〳〵欣求の思ふかし、眞影をう, 上人求法のはじめに、まづ嵯峨の釋迦堂に七日參籠し給ひき、定めて御祈, て、門弟等一所に來會して茶〓し奉るに、種々の奇特どもあり、靈雲空にみ, に迎へ奉て、信空上人、覺阿彌陀佛、此人々を始とし, を設て、月忌をいとなむ、在々所々に、いづれの族か、六八弘誓の雲をのぞま, 請の旨侍けん、釋迦彌陀契ふかく、此土他土縁淺からずして、遂に遺骨を此, 〔法然上人傳記〕九下嵯峨釋迦堂上人廟塔事, ざらむや、, 於粟生奉茶〓事, 安貞元年六月二十二日, 嘉祿三年十二月廿九日, 政元、安貞二年に當り、, 今光明寺, 是なり、, 隆寺ニ渡, 西山ノ粟, 生ニ於テ, 遺骸ヲ廣, 山麓ニ納, 茶〓ニ附, 峨ノ小藏, 遺骨ヲ嵯, ス, 安貞元年六月二十二日, 八九二

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  • 嘉祿三年十二月廿九日
  • 政元、安貞二年に當り、
  • 今光明寺
  • 是なり、

頭注

  • 隆寺ニ渡
  • 西山ノ粟
  • 生ニ於テ
  • 遺骸ヲ廣
  • 山麓ニ納
  • 茶〓ニ附
  • 峨ノ小藏
  • 遺骨ヲ嵯

  • 安貞元年六月二十二日

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  • 八九二

注記 (33)

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