『大日本史料』 5編 7 寛喜3年10月~貞永元年6月 p.13

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くろうそめける、, へりらす、但子孫をは守護す〓きなりと奏さよとて、御車は出と覺けれは, へ送壹てまつらま、, を寄たり、御簾を半あけて、御肩よ初上は見えす、御束帶乃さまな出、御車乃, 善知識にををれしに、寛喜三年十月三日夢に、御持佛堂の前乃一間に御車, 万人もあるらむと覺えける、此事申上壹わけれは、さては壽命は叶〓りら, 中よ初仰られせ云、御訪の壹めに參たわと奏べしと、湛空、誰人にて御坐や, 事の外に大なる車なわ、供奉乃人は〓沙門天皇なむとのことく服る者、一, らけちかく御らんしなれけるにや、人よりことに思ひしつみて、御服なと, らむと思惟するところに、讚岐院と號するなかと、今度御壽命は〓すらる, うしとみしありしわかれは藤ころもやかてきるへきかとてなりけり, す、子孫擁護こそたのもしけれとて、日比御所持の唐本乃法花經一部、御廟, 〔白峯寺縁起〕土御門院阿波國にて御違例ありしかは、湛空上人をめして、, 〔元亨四年年中行事〕十月十一日、甲子、土御門院御國忌, 〔愚管抄〕〓帝年代記土御門十二年, 〔愚管抄, ○上, 下略, 皇帝年代記, 土御門十二年, 二, ヲ召サセ, 御違例ニ, 給フ, 湛空ノ夢, 臨ミ湛空, 同奉悼ノ, 歌, 寛喜三年十月十一日, 一三, 寛喜三年十月十一日

割注

  • ○上
  • 下略
  • 皇帝年代記
  • 土御門十二年

頭注

  • ヲ召サセ
  • 御違例ニ
  • 給フ
  • 湛空ノ夢
  • 臨ミ湛空
  • 同奉悼ノ

  • 寛喜三年十月十一日

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  • 一三
  • 寛喜三年十月十一日

注記 (31)

  • 1773,616,47,494くろうそめける、
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