『大日本史料』 5編 8 貞永元年7月~天福元年5月 p.697

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のに有て、智定房と號し、日夜法花經をとくしゆしつるか、くま野なちの浦, て生かひなしと、狩場より出家をとけ、逐電し、行かたしらす、其後紀州くま, しやうに、伊豆の國下田の郷を、朝比奈六郎知明、子々孫々永代他の妨有へ, しり出る、然所に、小山左衞門尉朝政射とゝめをはんぬ、よて行秀は、世に有, それより以來、延徳年中、早雲宗瑞、伊豆の國を治給ひしまても、八丈嶋の名, へきよし仰らる、嚴命なりといへ共、其矢鹿にあたらす、此鹿せこの外には, 當て嶋有よし聞及ひ、大船一艘に人多く取乘、伊豆下田の津より渡海し、彼, つらすと云々、故に今知明ろ孫あさひな兵庫助、下田を知行す、此嶋より北, 早雲へ此よし告しらしむ、早雲喜悦なゝめならす、八丈嶋見出したる〓ん, を聞す、其比豆州賀茂の住人朝比奈の六郎知明と云侍あり、是より南海に, をかんろみるに、頼朝公下野國なす野の御狩の時、大鹿一かし〓せこの内, 嶋につき、民家をなひかし、末代伊豆の國の内とるへき旨、申さため歸海し、, 條家五代、毎年乃貢絹をおさむる事、千秋萬歳なるへし、倩嶋の男に付て、昔, よりかけ下る、幕下ことなる射手をゑらひ、下河邊六郎行秀をめし、是を射, 海ろ嶋、北は佐渡か嶋、東は夷ろ嶋、南は伊豆の大嶋ならて遠嶋のさたなし、, 天福元年三月七日, 六九七

  • 天福元年三月七日

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注記 (17)

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