『大日本史料』 5編 10 嘉禎元年5月~同2年11月 p.26

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これを文暦の頃書れしてふは、明月記, 世に行はせ給ひき、俊成卿は、右の元久元年十一月三十日に薨ぜられたり、, かゝれば五人の撰みはゝてゝ、奉りし後の事なり、右はたゞ、元久二年三月、, 此言たゞ水ぐきの事ありて、且夜に入て示送と有ば、其日などに書て、急ぎ, 待ていふべきにあらず、, つ、或はよみ人の名を誤れる事などの中にも、荷田東麻呂うしのいへりし, 明月記より、此歌どもの事を見出しをはじめて、萬葉の歌の中ひとつふた, と聞ゆれば、したがふことなかれ、, 世にひろめ給ふてふ事を聞て、そらにいへるひがことなり、花實の事も、定, 撰みを加へ給ふ事、年月を經て、元久二年四月竟宴ありて、承元三年六月ぞ、, 家卿しか思はれなは、それより多くの年過て、貞永元年に一人して撰ばれ, て贈られしものぞ、然れば歌もふかく撰まれしならねば、けにいかにぞや, し新勅撰こそ、心たらひにせられなめ、そのゝち、文暦の頃書れし此百首を, おほゆるも入たり、此外くさ〴〵の説あれど、みな正しからぬおよづれ言, をうけて、そをくはしくせしもおほし、其外用うる説どもは、みな名をあげ, 云云これ也、, 〓に、。, 上ニ收ム, ○本文略ス, 定家卿の, 日記也, ○中, 略, 嘉禎元年五月一日, 二六

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  • 上ニ收ム
  • ○本文略ス
  • 定家卿の
  • 日記也
  • ○中

  • 嘉禎元年五月一日

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  • 二六

注記 (25)

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