『大日本史料』 5編 11 嘉禎2年12月~暦仁元年9月 p.655

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寄ていひかけゝる、, 後陣修理權大夫、, 〔古今著聞集〕, されけるに、いづれの武者の分にてかありけん、白きひたゝれ著たる男の、, 將軍入道殿はしめて上洛の時、清水の橋をわた, るを、わかき女房の清水まうてするものとみへたるか、この男のもとへ立, この心やまはらさりけん、大聲を出して、いかに將軍のわたさせ給ふ橋を, といへりけるを、この男つけんするきそくにて、しはしうちあんしけるか、, は、たちろくかとはととかめけれは、おそろしくて、足はやにさりにけり、, たけ、たちこと、からさる躰なるか奉行してありけるか、文をみて立たりけ, たちろくかわたしもはてゝふみ見るは, ○關東評定傳、一代要記、歴代編年集成、將軍執權次第、皇年代略記、皇代, 略記、大乘院日記目録、皇年代私記、和漢合符等、竝ニ異事ナキヲ以テ略, 左京權大夫, 〔玉蘂〕二月十九日、し早旦定員來云、日次不宜云々、し, ス、頼經、京都ヲ發シテ、鎌倉ニ歸還スルコト、十月十三日ノ條ニ見ユ、, 二日、蛾頼經、外祖父公經ノ第ニ赴キ、其後父道家ニ〓ス, 二十二日, 十八人、其外濟々焉, 廿人、其外勢濟々焉, 興言利口, 泰時、水干、隨兵卅人、侍, 〓房、水干、隨兵廿人侍, 十六, 文, 戌、, 暦仁元年二月二十二日, 六五五

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  • 十八人、其外濟々焉
  • 廿人、其外勢濟々焉
  • 興言利口
  • 泰時、水干、隨兵卅人、侍
  • 〓房、水干、隨兵廿人侍
  • 十六
  • 戌、

  • 暦仁元年二月二十二日

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  • 六五五

注記 (28)

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