『大日本史料』 5編 20 寛元4年3月~同年10月 p.308

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是月、閑院内裏直廬ニ於テ、連歌御會アリ、, 廿日、乙巳、陰晴相交、深更後雨下、參左大將御慶申出立所、, はやと仰ことありしかとも、月もいりかたちかくなりて、みなかへり侍にし、名殘おほく, 人數もすくなかりしかは、いとまさりし程に、此ついてに、こうたうの内侍のひはをきか, 〔地下家傳〕, に、御ちよくろにて御連歌ありしこそ、いとやさしく侍しか、た家、ためつくハかりにて、, 廿二日、丁未、陰、雪散嵐寒、立春之朔、萬事如思、幸甚々々、入夜參殿下、左大將著陣儀、參陣、, 左大將直衣始、, 大將御拜賀出立可令參者、申難去故障之由了、, 師兼, 寛元四年五月廿八日、任安房守、, 〔民經記〕暦記五月廿九日、丙戌、, 二十九日, て、つりとののかたにやすらひて、辨内侍, 左幕下御著陣延引之由、自前殿下被仰、, 十二月五日、庚寅、天晴、日暖、, 十九日、甲辰、晴、, 著駄政、, 〔辨内侍日記〕上五月の廿日あまり、在明の月くまなくて、ことにおもしろく侍りし, 著駄政、, 〔辨内侍日記〕, 寛元四年五月二十九日是月, ○中, 二大外記, 中原師, 重男、, ○中, 右佐著, ○中, 行云々、, 中原朝臣, 略, 略, 略, 戌, 丙, 道良直衣始, 寛元四年五月二十九日是月, 三〇八

割注

  • ○中
  • 二大外記
  • 中原師
  • 重男、
  • 右佐著
  • 行云々、
  • 中原朝臣

頭注

  • 道良直衣始

  • 寛元四年五月二十九日是月

ノンブル

  • 三〇八

注記 (39)

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