『大日本史料』 5編 32 建長元年是歳~建長2年正月 p.44

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

四郎通信か末孫に右衞門尉重信とて、武勇の家にありけるか、妾か互の怨念を見て、忽, このゆへにより今に網堂といふ是なり、, 舍を建立して、此本尊を安置し奉る、則家名を以て寺號として、寺僧を定め置、淨土宗, も生身を見奉ることくなる、本佛の如來是なり、但し右の御手ハかりなし、定めて深き, に一身をさとり、二十八歳にして家を出らるゝを、二人の妾兩の袂に取付を引切てそ出, 引給へは、今度ハ一體とハあかり玉ハて、或處にてハ御頭を引上奉り、或處にてハ御足, 御長三尺三寸の彌陀如來の尊體となり給ふ、泥薄少も亂す、繼めも更に見へす、あたか, 此本尊を安置し奉る、今の西光寺の佛像是なり、夢の告に任せ、重て網を以て浦〳〵を, 第三に靈像供養の次第を明す、建長元年己西, を引上奉る、如此浦〳〵より持參せしむる處是なり、此潟にて引上奉るを指合給ヘハ、, 心あるへし、右の引奉りし網をハ後の世まての證とすへしと、心光寺の御堂に納めらる、, にける、發心して後、遊向上人とそ申ける、此本願として、日笠の浦に一の寺を建立し、, くになすに、更に違ハすなむ、是をハ西光寺の本尊に安置し奉る、其頃伊豫の國河野の, 徹の教相を翫、常行三昧の梵宇と崇め、不斷念佛道場となそらへ、後にハ覆土の地を點, 二月十五日今の天神の林の西に精, 于時時光上, 人十五歳, 〔卅力〕, 精舍ヲ建立, 像ヲ得ル, 來像ヲ安置, シ阿彌陀如, 阿彌陀如來, 建長元年雜載佛寺, 四四

割注

  • 于時時光上
  • 人十五歳
  • 〔卅力〕

頭注

  • 精舍ヲ建立
  • 像ヲ得ル
  • 來像ヲ安置
  • シ阿彌陀如
  • 阿彌陀如來

  • 建長元年雜載佛寺

ノンブル

  • 四四

注記 (25)

  • 1670,638,65,2310四郎通信か末孫に右衞門尉重信とて、武勇の家にありけるか、妾か互の怨念を見て、忽
  • 571,637,54,1015このゆへにより今に網堂といふ是なり、
  • 315,630,66,2309舍を建立して、此本尊を安置し奉る、則家名を以て寺號として、寺僧を定め置、淨土宗
  • 810,630,63,2314も生身を見奉ることくなる、本佛の如來是なり、但し右の御手ハかりなし、定めて深き
  • 1547,640,66,2306に一身をさとり、二十八歳にして家を出らるゝを、二人の妾兩の袂に取付を引切てそ出
  • 1177,635,67,2308引給へは、今度ハ一體とハあかり玉ハて、或處にてハ御頭を引上奉り、或處にてハ御足
  • 933,625,66,2316御長三尺三寸の彌陀如來の尊體となり給ふ、泥薄少も亂す、繼めも更に見へす、あたか
  • 1302,633,65,2313此本尊を安置し奉る、今の西光寺の佛像是なり、夢の告に任せ、重て網を以て浦〳〵を
  • 446,628,58,1198第三に靈像供養の次第を明す、建長元年己西
  • 1056,628,64,2271を引上奉る、如此浦〳〵より持參せしむる處是なり、此潟にて引上奉るを指合給ヘハ、
  • 687,630,64,2328心あるへし、右の引奉りし網をハ後の世まての證とすへしと、心光寺の御堂に納めらる、
  • 1423,638,65,2327にける、發心して後、遊向上人とそ申ける、此本願として、日笠の浦に一の寺を建立し、
  • 1793,637,64,2304くになすに、更に違ハすなむ、是をハ西光寺の本尊に安置し奉る、其頃伊豫の國河野の
  • 192,628,67,2312徹の教相を翫、常行三昧の梵宇と崇め、不斷念佛道場となそらへ、後にハ覆土の地を點
  • 439,2057,58,886二月十五日今の天神の林の西に精
  • 470,1832,43,207于時時光上
  • 432,1835,37,166人十五歳
  • 395,1864,32,84〔卅力〕
  • 502,254,39,210精舍ヲ建立
  • 931,256,37,162像ヲ得ル
  • 417,255,39,213來像ヲ安置
  • 459,259,41,207シ阿彌陀如
  • 972,259,41,209阿彌陀如來
  • 1924,690,43,387建長元年雜載佛寺
  • 1919,2510,37,76四四

類似アイテム