『大日本史料』 5編 32 建長元年是歳~建長2年正月 p.310

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し、これも寛元年中に結界せられけるとそ、, この塔婆をは、慈鎭和尚の一千日の御忌にあたりて、寛喜二年に供養をとけられけり、, 不斷念佛をはしめをかれし時は、祖師上人すなはち御念佛衆の一和尚に烈てそ始行せら, 宮をゝきたてまつり、別の庵室を構て移住せられけり、, して栖給けり、その地は善峰寺の管領のうちなりけるを、寛元の初に、山林の界畔をわ, 鳥羽院の御すゑ世をしろしめす事になりしかは、宮も御出頭ありて、天台座主にならせ, れける、竹園は眞實の御遁世の儀にておはしましけれとも、天下正理にたちかへり、後, 給けり、この往生院ならひに蓮花壽院には、女人跡を削り、魚肉五辛のたくひも入事な, かちて、彼寺よりさりたてまつりしかは、水無瀬殿に蓮華壽院とて後鳥羽院御建立の御, 堂のありけるを、この閑地にひきうつし給けり、同五年に、十二人の結衆をさためて、, 導師は安居院の聖覺法師とそきこえし、上人はしめは觀性の靜房に栖給しに、承久の亂, によりて、後鳥羽院の皇子道覺親王、俄に當山にしのひ入給ひしかは、本坊をさりて、, 宮は後には山中に別所を點, 〔善惠上人繪〕, 〔善峰寺記録〕, ○中, ○淨橋寺所藏, 略, 寺所藏, ○善峰, 三, 籠居, 承久ノ亂二, ヨリ西山二, 住房, 建長二年正月十一日, 三一〇

割注

  • ○中
  • ○淨橋寺所藏
  • 寺所藏
  • ○善峰

頭注

  • 籠居
  • 承久ノ亂二
  • ヨリ西山二
  • 住房

  • 建長二年正月十一日

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  • 三一〇

注記 (27)

  • 344,624,59,1135し、これも寛元年中に結界せられけるとそ、
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