『大日本史料』 6編 3 延元元年正月~建武3年12月 p.409

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之ニ死ス、義貞京都ニ退ク、, を諸軍勢なけきし時分、五月廿三日戌刻に、雨交りたる西風少し吹くなり、, 召れて御尋有へしとなり、依て御座船串崎の船頭、千葉大隅守か舟をきは, 將軍御悦有て仰られけるは、此風は天のあたふる物か、はや纜を解くへし, 必播磨灘とて、御下向の時の如く、よき順風を得ざる外は、渡らさる難所た, る間、日よりを待たれし程に、既に陸地の御勢は進み給ふに、御船の御逗留, 尊氏直義進ミテ攝津ニ至ル、是日、義貞正成逆ヘテ兵庫湊川ニ戰フ、正成, と有けれは、或議に云、海上の事其道を得す、異見を申難し、大船共の船頭を, 扨當所室と兵庫の間の海は、おしてには, 中瑠璃房法印房, 左中將(花押), 五月廿六日, 〔鞍馬寺文書〕, 相觸、者、天氣如此、悉之以状、, 自若狹路凶徒等可襲來之由有其聞、鞍馬寺々僧等、可致防禦沙汰之由、可被, 〔梅松論, (中院具光〕, 五月廿六日左中將(花押), 神護寺衆徒中, ○上文ハ、十八日備中福, 山攻ノ條ニ收メタリ、, ○山, 城, ス船頭之, ジテ纜ヲ, 室津ニ候, ノ聞エア, ヨリ襲來, 西風ニ乘, 解カント, 尊氏風ヲ, 二十三日, 又若狹路, ヲ危ブム, ス, 延元元年五月二十五日, 神護寺衆徒中, 四〇九

割注

  • ○上文ハ、十八日備中福
  • 山攻ノ條ニ收メタリ、
  • ○山

頭注

  • ス船頭之
  • ジテ纜ヲ
  • 室津ニ候
  • ノ聞エア
  • ヨリ襲來
  • 西風ニ乘
  • 解カント
  • 尊氏風ヲ
  • 二十三日
  • 又若狹路
  • ヲ危ブム

  • 延元元年五月二十五日
  • 神護寺衆徒中

ノンブル

  • 四〇九

注記 (38)

  • 1047,562,75,845之ニ死ス、義貞京都ニ退ク、
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