『大日本史料』 6編 3 延元元年正月~建武3年12月 p.410

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度船と號す、長門安武郡椿の浦の船頭孫七畏て申けるは、是は御大慶の順, きのよし、餘多の船頭申上しをも聞召れすして、一人か申を御許容は如何, しの船頭、大友少貳長門周防の舟の船頭共拾餘人、御前に列して各申ける, は、此風今は順風なれとも、月の出汐に吹替てむかふへし、御船出されては, 御感再三に及ひ、忝くも御意を懸られ、左衞門尉になさる、將軍仰られける, と、内々申輩有けれとも、進む御道なれは異見に不及、〓に御船を出された, 千艘には過さりけり、月の出汐を待て、室より五十町東なる杓子浦に御船, かゝる、案のことく雨止みしかは、月と共に御座船走りけり、こはかりし, とも、順風なりけれは、皆帆をあけて走りけるに、夜の明かたに成りしかと, 若途中にて難義あるへきろと有けれは、爰に上杉伊豆守の乘船名をは、今, は、元暦の昔九郎判官義經、渡邊より大風なりしかとも、順風なれはこそ、渡, 風と存候、其故は雨は風の吹出て降り候、月出は雨は止み候へし、少しはこ, はく候とも、追風なるへきのよし一人申上たりしかは、御本意たるに依て, りつらめとて、雨の止むをも御待なくして、御座船を出さる、あやうかるへ, れは、惣して船數大小五千餘艘とそ聞へし、去なから其夜御供に出し船三, 主張ス尊, リ解纜ヲ, ノ船頭獨, 遂ニ續ヲ, 氏賞シテ, 長門椿浦, 左衞門尉, 解ク, ヲ授ク, 延元元年五月二十五日, 四一〇

頭注

  • 主張ス尊
  • リ解纜ヲ
  • ノ船頭獨
  • 遂ニ續ヲ
  • 氏賞シテ
  • 長門椿浦
  • 左衞門尉
  • 解ク
  • ヲ授ク

  • 延元元年五月二十五日

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  • 四一〇

注記 (26)

  • 1507,642,62,2210度船と號す、長門安武郡椿の浦の船頭孫七畏て申けるは、是は御大慶の順
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