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方に參り、義兵を起さんとするもの一人もなかりし故、當國御方大略以令, 濳居たりしにや、僅五十人にて、甲佐嶽に打上り、旗を揚たりしを思へは、其, る國中地下の者共まても、皆武家方に心を通して、當時菊池八代の外は、御, て、物には其名も見えされとも、川尻宇土御領等をはしめ、是迄御方に有つ, 下向の後、最初より敵方へ參りたる、當國の合志詫磨小代鹿子木はさらに, 東津津良郷と見え、同時在廳郡司等か立券の解に、盆木上郷堅志田四至, 零落とはいひたるなり、惟澄は去年の九月より、今年の二月まては、何方に, 蘇家の所領にて、阿曾文書の中に、承安三年正月十八日、源顯實か相傳所領, 山近き處に隱れ居たりしと見えたり、砥用小北甲佐堅志田等は、昔より阿, 砥用小北兩山を、甲佐大明神に寄進せし状ありて、顯實子息木原太郎實澄, 筑後國豐福原合戰に、武敏惟澄等打負て、肥後國に引入し後は、去年將軍御, 奉寄進當社之條明鏡也、なと見え、また建久六年二月八日、甲, 佐の社領片寄の時の國宣に、甲佐の社領八代北郷盆木堅志田宇土勾野盆, か承久三年正月十八日の契約状に、且又亡父顯實、承安年中、以砥用小北兩, にて、伯耆の名和長年か從兄弟なり、, 郎, 去年の秋, 山, 付佐俣中山, 久木山等, ○義, 二日ノ條ニ收メタリ, ○中略、去年四月二十, 限, 東, 眞, 理由, 田等ハ阿, 甲佐堅志, 黨零落ノ, 肥後ノ南, 砥用小北, 蘇ノ舊領, 南朝延元二年北朝建武四年二月二十二日, 八七
割注
- 付佐俣中山
- 久木山等
- ○義
- 二日ノ條ニ收メタリ
- ○中略、去年四月二十
- 限
- 東
- 眞
頭注
- 理由
- 田等ハ阿
- 甲佐堅志
- 黨零落ノ
- 肥後ノ南
- 砥用小北
- 蘇ノ舊領
柱
- 南朝延元二年北朝建武四年二月二十二日
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- 八七
注記 (35)
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