『大日本史料』 6編 4 建武4年正月~暦応元年閏7月 p.613

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くたんの〓し、, 合小參拾歩者在所, 子々孫々、更不可有顛倒之儀、仍寄進之状如件、, 右件田地者、爲當庄南方内智性一圓進止之地也、而今爲施餓鬼飮食、永代所, 令寄進當庄藥徳寺也、但乏少之地、雖有其憚、及無懈怠御沙汰者、尤所庶幾也、, しし、ひんかしはつねみつをかきり、みなみはやまをかきり、にしはいての, はなおかきり、きたはみそおかきりて、なかくきしんしたてまつるところ, 也、もし、かのしりやうにおいて、いらんをいたさんともからは、不孝のしん, 建武四年, 寄進紀伊國大野郷禪林寺之人給田壹町二段七拾歩事, 〔歡喜寺文書〕, 八月二日沙彌智性(花押), として、□秀あとを童んふもちきやうすへからす、よてこ日ために、しやう, 〔紀伊續風土記附録〕五, 奉寄進毎日施餓鬼料田事, をんむ四ねん四月五日越智信秀(花押), 參拾歩、禰宜西道副, 小丁坪, ○紀伊, 五, 三, ○三, 丁, 越智信秀, 南朝延元二年北朝建武四年雜載, 六一三

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  • 參拾歩、禰宜西道副
  • 小丁坪
  • ○紀伊
  • ○三

頭注

  • 越智信秀

  • 南朝延元二年北朝建武四年雜載

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  • 六一三

注記 (26)

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