『大日本史料』 12編 17 慶長十九年十二月~元和元年三月 p.592

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といへとも、柚谷もまた歸り來らす、よりてまた石田甚左衞門某をつか, しむるところ數人乃使は、明將ともなひ去くいまに歸り來らす、故に返, んや和好をはかるの事は、輕〳〵しく兩國の言に決へきんや、先に來ら, かふへしといへとも、明國わか國を見る〓子の〓くす、たゝに一時の難, はす、こゝにをいて朝鮮石田をかたし、返書を附しくいふ、和好乃〓した, おもふなり、汝家臣を彼國につかはし、其意を探らしめてはからふへき, 處、彼國乃邊民一人をとらへて歸る、また柚谷彌助某をして書ををくる, む手仰をかうぬりしかは、やかて家臣梯七大夫某に書をもたらし〓彼, まりて守備す、故に輕重大小となく、かならにみな明國に就て決す、いは, 來らす、五年春、義智、再武田喜兵衞某をやりて形勢をうかゝはしむるの, て、やむ〓をえす干戈を動かすにい〓れり、今我彼國と好みを修せんと, を救ふのみなら、提督乃諸將をして官領をしめ、援兵もまた今にとゝ, 國にいをらしむ、乃ちまた吉副左近某をつかはすといへとも、みな歸り, 書遲滯に及〓りとなり、六月、東照宮、上杉景勝御征伐として大坂を御進, 發あり、七月、義智、毛利輝元、毛利秀包、嶋津義弘、秋月種長、松浦法印、五嶋玄, 元和元年正月三日, 役義智西, 關ケ原ノ, テ伏見城, 軍ニ屬シ, ヲ攻ム, 五九二

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  • 役義智西
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  • テ伏見城
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  • 五九二

注記 (22)

  • 1095,699,61,2137といへとも、柚谷もまた歸り來らす、よりてまた石田甚左衞門某をつか
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