『大日本史料』 6編 5 暦応元年8月~暦応2年12月 p.518

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年太上天皇御幸, 薩の植給ふ柳のもと大岩のうへに座し給ふと見しに、翌日親秀行之みれ, 給ひしなり、小野宮大臣實頼卿乃松に冠をろ〓、小松内府重盛卿椎をうへ, 名を黄金池とあらため給ふと云々、松尾明神は親秀の夢に告給ひそ、われ, 自作の縁起に見へたり、貯清軒より叡山の見ゆるを富士の間といひ、池の, られし事、七本竹報春岩のむくひ、さま〳〵ありといへとも爰にしるけす, は、みしめ繩くちぬ、ちかひのしるしにや、まへの日あつめし木竹石なんと、, 太子の法華經塔、舍利勅封の事とも、仁和寺法親王御筆本尊縁起の中に見, 皆外へうほしありたれは、今に大岩を鎭守と崇め奉りける、松尾神主相世, は、親秀と同し夜におなし夢の告ありけれは、此所に來りて御祓をなし、寺, 本より爰に跡をたるれは、けらに今我社をいとなむ事なかれと、則行基菩, おもて東にあるを朝日の島、西にあるを夕日か島といふは、尊氏將軍名附, ありて、此よしはふさに叡聞に達しけれ, は、同二年六月忝くも院宣を下して、神主相世を歎美し給ふとなん、國師御, の西にある神領の山をわかちて寄附せし事、則暦應二年也とかや、康永元, へたり、今公命によりて池庭の始末古記の表を考へあは〓、年代の前後を, ○康永元年四月, 八日ニ本條アリ, 貯清軒, 南朝延元四年北朝暦應二年四月是月, 五一八

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  • ○康永元年四月
  • 八日ニ本條アリ

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  • 貯清軒

  • 南朝延元四年北朝暦應二年四月是月

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  • 五一八

注記 (21)

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