『大日本史料』 6編 10 貞和2年8月~貞和3年11月 p.886

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〔參考〕, いふことく、鎭西の恩賞闕所地之事は、すへて宮の御獨斷にまかせらるゝ, 同文書の中に、日向國鹽見富高郷事、恩賞御沙汰之時以一同之法可被經, ことなれは、其御沙汰のはやく定まらんことを願ひて、宮へも重ふて所望, の次第と、所望闕地との状は、すてに宮の申請ふて、吉野にも注進申たりし, と見えて、此以下は切れてみえす、されはかかるさ, 豐後國佐伯庄地頭職事、令支配官軍等、可申下令旨者、征西將軍宮御氣色如, を、重ねて薩摩の宮の御在所にも同樣に書て注進申たりしは、件の状にも, の次第注遣したるなり、阿蘇文書は、此比の物と見えて、年月はさたかなら, 御沙汰者、依仰執達如件、正平二年十一月九日、勘解由次官、草野少輔注記房, されとも、件の闕所地指合の事を、芳野殿よりか宮よりか仰下されし文書, 〔征西將軍宮譜〕六件の四通は、大かた同時にかきたる状ともにて、軍忠, し合とものなかりし闕所地は、其年の冬一まつ各が請申に依られしにや、, 此、仍執達如件、正平二年十一月九日、勘解由次官判、惠良小次郎殿、なと見え, あり、, ○前掲ノ文書ニ同, ジキヲ以テ略ス、, 月九日ノ兩條ニ見ユ、コノ兩條ノ文書ニ關スル考モ、便宜ニヨリコヽニ連, ○コノ後、親王各將士ニ指合ナキ地ヲ領セシメラル〓ト、十月十三日十, 收, ス, ジ, 〇, 進状ノ考, 三通ノ注, 豐後佐伯, 莊, 南朝正平二年北朝貞和三年九月二十日, 八八六

割注

  • ○前掲ノ文書ニ同
  • ジキヲ以テ略ス、
  • 月九日ノ兩條ニ見ユ、コノ兩條ノ文書ニ關スル考モ、便宜ニヨリコヽニ連
  • ○コノ後、親王各將士ニ指合ナキ地ヲ領セシメラル〓ト、十月十三日十

頭注

  • 進状ノ考
  • 三通ノ注
  • 豐後佐伯

  • 南朝正平二年北朝貞和三年九月二十日

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  • 八八六

注記 (29)

  • 1783,835,74,206〔參考〕
  • 1321,672,66,2179いふことく、鎭西の恩賞闕所地之事は、すへて宮の御獨斷にまかせらるゝ
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