『大日本史料』 6編 11 貞和3年12月~貞和4年10月 p.374

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一所長田郷、, て御手を入らるゝにも及はさる故、筑後は當時少貳の分國にて、將軍方之, 者共おにけれは、一先肥後に入御ありで、阿蘇菊池の勢を併を給ひて、最初, 人なるへし、, し、されはこそ菊池に入御の後、いまたいく日もへさるに、かく筑後へ御發, 治の上にては、肥後は阿蘇菊池なとさるへき御方の大名ともあれは、さし, 萩藩閥閲録〕, に筑後の凶徒らを追罰せらるへきのねて御あらましにてありしなるへ, 尉季顯いかなる人なりしや、何樣宮の侍にて山門より供奉しまらをし, 向のこと、阿蘇へも仰觸られて、惟時らか出勢を御催促ありしなり、左衞門, 二十二日, 郷内越生四郎左衞門尉跡半分事, 一所妻保垣高田原、, 讓渡先祖相傳私領安藝國長田郷妻保垣高田原惣領地頭職、并甲斐國藤太, 内藤教泰其所領ヲ諸子ニ讓ル、, 合, 南朝正平三年北朝貞和四年正月二十二日, 内藤次郎左衞門, 五十七ノ五十八, 東限吉田庄坂村、西限井原槇木、, ○以下二月二十, 三日ノ條ニ收ム、, 南限井原大平峯、北限内部庄大水谷, 未, 己, 南朝正平三年北朝貞和四年正月二十二日, 三七四

割注

  • 内藤次郎左衞門
  • 五十七ノ五十八
  • 東限吉田庄坂村、西限井原槇木、
  • ○以下二月二十
  • 三日ノ條ニ收ム、
  • 南限井原大平峯、北限内部庄大水谷

  • 南朝正平三年北朝貞和四年正月二十二日

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  • 三七四

注記 (27)

  • 312,675,57,408一所長田郷、
  • 1714,652,59,2226て御手を入らるゝにも及はさる故、筑後は當時少貳の分國にて、將軍方之
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