Loading…
要素
頭注ノンブル
OCR テキスト
の大谷は今の知恩院りたりの地にて、其地は今も青蓮院より引つゝきた, る太子堂は、速成就院といひて、もと十樂院の西下にありしを、知恩院御興, 青蓮院宮御傳領の後、追々造加へ給ひて、大厦の構へとなりて、かの雍州府, 原御殿者、無御中陰之儀、なとみえたる、十樂院のうへの山の陵そ、これには, の舊地に太子杉太子水なと殘在しを、此太子杉は去にし安政二年九月廿, て、十樂院のうへの山に當り嘗り、又かの園太暦、慈嚴僧正記なとにみえた, る地にて、昔は此宮の御敷地なりしといひ、その地はもと十樂院なりしを、, 御座ますへき、そも〳〵この十樂院は、門葉記抄に、十樂院在大谷とみえ、そ, 志、廟陵記なとにいへるか如く、十樂院者青蓮院之別號也といへるやうに, も成たるものとそ思はるゝ、されと今この御陵の地は、いにしへき域外に, 立の時、下寺町へ移されて、その舊地今は知恩院宮の域内に入むれと、猶そ, 樂院上山、構山作所奉葬之云々、御佛事等、悉依御遺命、於彼堂被修之、仍於萩, 是内内御幸之儀也、御輿也、雲客少々供奉云々、從彼堂一向爲聖人沙汰、於十, る慈嚴僧正記、同十三日の條に、御葬禮一事以上聖人沙汰也、仍先幸太子堂、, 日の大風に吹折られて、今は亡〓れど、其所慥に知られて、其處々十樂院の, 南朝正平三年北朝貞和四年十一月十三日, 所在, 十樂院ノ, 太子杉, 太子堂, 太子水, 南朝正平三年北朝貞和四年十一月十三日, 一三二
頭注
- 所在
- 十樂院ノ
- 太子杉
- 太子堂
- 太子水
柱
- 南朝正平三年北朝貞和四年十一月十三日
ノンブル
- 一三二
注記 (23)
- 1206,652,60,2218の大谷は今の知恩院りたりの地にて、其地は今も青蓮院より引つゝきた
- 501,652,64,2225る太子堂は、速成就院といひて、もと十樂院の西下にありしを、知恩院御興
- 970,641,62,2234青蓮院宮御傳領の後、追々造加へ給ひて、大厦の構へとなりて、かの雍州府
- 1438,640,62,2217原御殿者、無御中陰之儀、なとみえたる、十樂院のうへの山の陵そ、これには
- 264,656,66,2216の舊地に太子杉太子水なと殘在しを、此太子杉は去にし安政二年九月廿
- 619,647,60,2222て、十樂院のうへの山に當り嘗り、又かの園太暦、慈嚴僧正記なとにみえた
- 1087,650,63,2232る地にて、昔は此宮の御敷地なりしといひ、その地はもと十樂院なりしを、
- 1320,643,63,2221御座ますへき、そも〳〵この十樂院は、門葉記抄に、十樂院在大谷とみえ、そ
- 853,646,60,2222志、廟陵記なとにいへるか如く、十樂院者青蓮院之別號也といへるやうに
- 739,652,59,2221も成たるものとそ思はるゝ、されと今この御陵の地は、いにしへき域外に
- 384,651,62,2223立の時、下寺町へ移されて、その舊地今は知恩院宮の域内に入むれと、猶そ
- 1554,641,65,2229樂院上山、構山作所奉葬之云々、御佛事等、悉依御遺命、於彼堂被修之、仍於萩
- 1673,642,61,2223是内内御幸之儀也、御輿也、雲客少々供奉云々、從彼堂一向爲聖人沙汰、於十
- 1793,645,60,2233る慈嚴僧正記、同十三日の條に、御葬禮一事以上聖人沙汰也、仍先幸太子堂、
- 150,657,63,2206日の大風に吹折られて、今は亡〓れど、其所慥に知られて、其處々十樂院の
- 1908,709,45,817南朝正平三年北朝貞和四年十一月十三日
- 1307,279,39,84所在
- 1351,281,41,161十樂院ノ
- 289,286,45,124太子杉
- 504,284,45,126太子堂
- 232,285,44,125太子水
- 1908,709,45,817南朝正平三年北朝貞和四年十一月十三日
- 1912,2470,45,107一三二







