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みへ候, れに、こゝより引返して小手差原に至ると云々、, 然らは戰場より淺草石濱迄は十, を渡りてまぬかれ、義宗水のために隔てられて、しまひ結句し候事に, 渡るときに、近從の士二十餘騎引返し河中にて戰死、この間に急をのか, 手差原へ引返され、往來二十里に及ひ候道をうたれ候事、人力とは申, 此戰、悉に論し候半には事煩く候、唯一事の不審き、此日の戰ひ、尊氏水, 候、然るに今地理に據り候に、小手差原より石濱にいたり候迄の間、左, ほとの川とてはみへ渡らす、陵谷變遷よの常に候得とも心得かたく, 義宗、人馬の息をも休めす是迄追ひ、春の夜の短きころに、夜間に又小, 四五里も可有之候、坂東道にしては八十里の内外の事に候、その道を, 臨有合戰、(尊氏敗走せられ候を、義宗追ふ事坂東道四十六里、尊氏石濱を, 五百騎にてつゝく御方なく、日すてに酉の下りに成て河の淵瀬もしら, 候、尊氏久米川に二日迄陣せられ、これ官軍その日の朝に小手差原に, れてむかふのきしに至る、尊氏の兵二万騎水を前に拒戰はんとす、義宗, 打のそむと有之上は、合戰の場は河越の西のかた三四里を隔候事と, 正平七年閏二月二十日, 即今北野社より西北六七里, を小手差原といふによる, 尊氏ノ渡, リシ川ニ, 就テノ考, 正平七年閏二月二十日, 二五九
割注
- 即今北野社より西北六七里
- を小手差原といふによる
頭注
- 尊氏ノ渡
- リシ川ニ
- 就テノ考
柱
- 正平七年閏二月二十日
ノンブル
- 二五九
注記 (24)
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