『大日本史料』 6編 23 延文5年2月~康安元年12月 p.781

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は天下しづか成べからずと、口々に申すによつて、將軍の御いきどほりふ, かく、義長退治の上意あり、西國南方いまだしづまらず、しばらく時節を待, て亂をおこし、我が名代と號して、不義のくはだてをいたす、これ何の面目, 道事もなげなる躰にて、仰の旨ふしぎにこそ候へ、定て讒人の申す事にて, 禮不義なる事前代未聞なり、諸大名諸侍是をにくみ、目をそばたて、かくて, 畠山にのたまふやう、汝大軍を率して上洛せし事は、將軍より基氏をうた, わたくしの宿意を達せんとおもふや、亂をしづむる迄はなからめ、かへつ, 山陰道を廻りて鎌倉に下著す、左馬頭基氏は、京都の有さま前立て聞給ひ、, ぞ候らん、仁木義長と不和になりたる事、それがしのしわざにあらず、義長, がひ給ふ故に、其いきどをりをとゞめむがため也、何ぞ仁木と不和に成て、, 給へと、諫言をこそ申て候へ、和田楠又蜂起せしむ、それがし天王寺へ發向, ありてか、基氏今天下の人にまみえんやと、御氣色かはりて宣まふ、畠山入, 年の領地なり、守護代西郷彈正左衞門矢矧に出張して道をふさぎければ、, 權にほこり、をごりによつて上意を用ひず、我意にまかせ、政道よこしま無, 軍にいとまをも申さず、二万餘騎にて關東にぞ下りける、參川國は仁木多, ノ義長ト, 相和セザ, 國ニ下ル, 基氏國清, 國清兵ヲ, ルヲ責ム, 率ヰテ東, 南朝正平十六年北朝康安元年十一月二十六日, 七八一

頭注

  • ノ義長ト
  • 相和セザ
  • 國ニ下ル
  • 基氏國清
  • 國清兵ヲ
  • ルヲ責ム
  • 率ヰテ東

  • 南朝正平十六年北朝康安元年十一月二十六日

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  • 七八一

注記 (24)

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  • 379,619,65,2204かく、義長退治の上意あり、西國南方いまだしづまらず、しばらく時節を待
  • 1201,616,64,2207て亂をおこし、我が名代と號して、不義のくはだてをいたす、これ何の面目
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