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に參る心ざま臆せず、餘りに眉目うつくしかりければ、たすけをきて召つ, り、これを大將として、東八ケ國の勢廿万騎をつかはして、基氏は箱根の山, るゝ條ふしぎなり、あまつさへ奉行頭人等を追籠、万事の沙汰を我意にま, かせ、上意をうかゞはず、人のうらみすくなからず、これ國家亂逆のもとひ, かひ給ふ、元服をさせて、新田四郎義一と名のらせらる、武勇にして才智あ, かや、世良田の城をせめおとせしとき、十四歳にていけどられ、基氏の御前, でにあらはれたり、抑誰人の下知によつて、諸將諸士懸命の地を沒收せら, 上たり、基氏は下剋上の所行をやすからず思召といへども、又申す旨理に, 當れりとて、やがて入道道誓が館につかひを立られ、汝が日來の逆意今す, 寺に楯籠る、左馬頭殿きこしめして、新田四郎が妾の腹に生れし藤王丸と, に及ばゝ、兵をつかはして誅罰すべしと仰越れたり、畠山入道一言の義に, にして、政道の邪魔なり、はやく鎌倉を出て、何方へもおもむくべし、若違義, も及ばず、父子兄弟一族三百餘人、十一月廿三日に鎌倉を出て、伊豆の修禪, ば、いかにも仰付らるべしと、一千餘人神水をのみ、連判して左馬頭殿に差, 道をこなはれなば、御成敗にしたがふまじきなり、此事惡しとおぼしめさ, 南朝正平十六年北朝康安元年十一月二十六日, 七八三
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- 南朝正平十六年北朝康安元年十一月二十六日
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- 七八三
注記 (17)
- 483,624,62,2197に參る心ざま臆せず、餘りに眉目うつくしかりければ、たすけをきて召つ
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