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〔征西將軍宮譜〕, らるれとも、いつくの合戰なりしやたしかならす、佐田文書、宇都宮掃部助親景か嘉慶, 苑院殿より下されたる斯波義重奉の御感の御教書あり、件の秋重・氏重か假名いまた考, 於九州致忠節之上、子息秋重・氏重等討死候由、今川伊豫入道了俊所注申也、尤所被感, に近き所なれは、こゝの伊勢守も大野にてはなかりしにや、猶考へし、また同文書に、, 仕、愁訴歎申候處、探題御下向之間、成悦喜之思、御供仕罷下訖、其後所々之合戰致忠、, へす、了俊の應安六年二月の状に、兄弟か討死せしこと見へたれは、先年のことゝはし, 二年六月日の申状に、九州於宮方令一統之時、大友・少貳・親父河内守經景、諸共上洛, 守寄進六反といふこと見へたり、いつ比のものとはしられねとも、大野玉名郡にて伊倉, 思召之状、依仰執達如件、永徳三年五月廿二日、左衞門佐、小代左近入道殿といふ、鹿, とも、清源寺文書の中に、井倉にある清源寺領の事を載たる文書あり、其中に大野伊勢, 〔參考〕, 結句山崎合戰仁討死訖、下略、また了俊か永和元年十月廿五日、經景子親景に與へし状, 沙彌は了俊なり、同國の下、地名と名字と闕たれは、さたかならされ, 南朝文中二年北朝應安六年二月二十三日, ○今川貞世書下略ス、前, ニ掲グルモノニ同ジ、, ○内閣文庫本, 十文中二年癸丑應安六年, 南朝文中二年北朝應安六年二月二十三日, 一四
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- ○今川貞世書下略ス、前
- ニ掲グルモノニ同ジ、
- ○内閣文庫本
- 十文中二年癸丑應安六年
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- 南朝文中二年北朝應安六年二月二十三日
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- 一四
注記 (21)
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