『大日本史料』 6編 40 応安7年正月~応安7年5月 p.153

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にいたりて責申されて、太神宮の御計と存へし、抂て計承へき旨仰られし、其時力な, 之旨計申されき、又近衞院御晏駕時、いつれの皇子をもて帝位には定申さるへきやの, 以下山中に御座之間、彼御ため御讎たるよしふかく思召入ける故とそ、大樹執柄へも, に訪仰られし時、御返事に、踐祚に三種寶物を不渡事、繼躰天皇御例不可有異儀, 命制作に不及、仍上古渺焉の蹤跡を追て被遂行侍り、内侍所御辛櫃佐女牛若宮寶殿に, 月廿七日、正平一旦の儀を止て、毎事勸應の御沙汰を被用之由、武家より御奏聞、九, の度後白河院月輪殿に勅問の時御辭退ありて、久壽の儀は宿老の賢才にして、遁所な, よし、鳥羽院法性寺殿に勅問の時、はからひ申かたき由再三御辭退ありけるに、五度, 置れけるを、今夜蜜々に内裡に渡入奉る、如在の禮奠に擬せられ侍にや、當年壬辰六, 御政務事、大樹〓に執申されけるに、女院御固辭、都て不可叶之由被仰けれは、本院, 申談られけり、壽永度、靈寶の歸座をまたす踐祚あるへきや否、後白河院月輪の殿下, 御座の上はと御返事あり、就其て後白河院踐祚ありき、其跡を追て、壽永, 行、元弘・建武兩度も彼例を被守侍り、このたひは上皇外都にましますによりて、官, 月廿七日勸應三年を改て文和元年とす、癸巳年即位、抑此君御位の事并女院廣義門院, く四宮, 南朝文中三年北朝應安七年正月二十九日, 七十六代, 光嚴光明, 右府、, 時に, 河院、, 後白, 一五三

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  • 右府、
  • 時に
  • 河院、
  • 後白

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  • 一五三

注記 (23)

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