『大日本史料』 7編 1 明徳3年閏10月~応永2年3月 p.51

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をすぐり、總轍鞍鐙、思ひ思ひに嚴かけ、花をちらし、色をまじへ、歩立の侍七, 御遷宮あり、, をかため、小具足に長刀をよこたへ、非常をいましむる武士八十人、あやし, 物、さま〳〵の狂文、手をつくし、好みを替て、本所より若宮まで、二行に列な, せ、棧敷を打ならべ、家々の紋付たる幕打まはし、見物の貴賤行つとひて、錐, 百餘人、狩衣、水旱、布衣、直垂、衣紋あたりをはらつて、好粧目をおどろかす、或, きをとかめ、疑がはしきを通さず、供奉の騎馬三百餘人、太く逞ましき名馬, は代々の重寶を差、或は新調の美麗を用ひて、弓策太刀かたな、金銀珠玉を, 御遷宮まします、管領兵庫助憲孝御名代として、その日參向の有さま、漆塗, ちりばめたり、をよそ中間雜色にいたるまで、今日をはれと出立て、織色染, 制年五月より若宮八幡御造營あり、十二月廿一日、〓に造畢の功を遂られ、, をたつる地もなし、近國警固の勇士五百餘人、色々の甲冑を帶して、辻小路, の輿にのりて、路次の行粧美々敷ぞみへたりける、將軍家をはじめまいら, 〔鎌倉管領九代記〕ニ若宮八幡御遷宮, 宮寺の久敷御修理なかりしを、御再建有ける、同十一月廿日、御正躰假殿へ, 憲孝氏滿, ノ名代ト, 執權上杉, シテ參詣, 奉謝ノ爲, メ修理ス, 足利氏滿, 供奉ノ裝, ス, 明徳三年十二月二十一日, 五一

頭注

  • 憲孝氏滿
  • ノ名代ト
  • 執權上杉
  • シテ參詣
  • 奉謝ノ爲
  • メ修理ス
  • 足利氏滿
  • 供奉ノ裝

  • 明徳三年十二月二十一日

ノンブル

  • 五一

注記 (26)

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