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くれは、やかて長講堂領、法金剛院領、〓田社領、播磨國衙、已下こと〳〵く禁, とも侍りき、かくて應永四年の冬より御惱にて、同五年正月十三日、崩御な, せんれいなきにもあらす、其後准后も出家し給、そのころまた伏見殿へ御, に、御庭の田植興行せられて入申さる、田樂なといとおもしろき御あそひ, りぬ、遺勅にて崇光院と申、いつしか御領の事ともさたありて、御百ケ日す, 戒あるへけれとも、幽閑の院中さたにをよはす、さりなから禪律の御戒師, 參りありて、いと快然なりしほとに、進物十萬疋まいらせられて、その御禮, 裏へめされぬ、あまりになさけなき次第申せはさらなり、, 城南の離宮には、閑素として歳月を送りましますほとに、明徳三年十一月, 卅日、上皇は法皇にならせ給、御かいしは常光國師なり、法親王にこそ御受, 五、同日先元服、五十二廿六即位、觀應二十一七奉廢帝位、未被行御禊大嘗, 建武元四廿二降誕、五八八爲親王、十三日立太子、五、貞和四十廿七踐祚、, 〔本朝皇胤紹運録〕, 光嚴院, 崇光院, 第九十八, 諱興仁、治三年、養母〓安門院、實, ○前田, 陽祿門院、三條内大臣公秀公女, 家本, 第九十八, 崇光院, (朱書)「盆, アラセラ, 植ヲ御覽, 裏へ收メ, 義滿ト田, 崩御後御, 遺領ヲ禁, 御系圖, サセラル, ル, 應永五年正月十三日, 一六二
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- 諱興仁、治三年、養母〓安門院、實
- ○前田
- 陽祿門院、三條内大臣公秀公女
- 家本
- 第九十八
- 崇光院
- (朱書)「盆
頭注
- アラセラ
- 植ヲ御覽
- 裏へ收メ
- 義滿ト田
- 崩御後御
- 遺領ヲ禁
- 御系圖
- サセラル
- ル
柱
- 應永五年正月十三日
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- 一六二
注記 (34)
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