『大日本史料』 7編 4 応永6年7月~同8年4月 p.41

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御灌頂あり、, にて、御位をさらせ給ひて御出家あり、, に紫雲金光現しけるとかや、, 出家有て、, 暦、園城の門風いよ〳〵さかりなり、清和天皇又慈覺大師に御受戒ありて、, たへ給ひし天台、眞言兩宗世にひろまりて、慈覺、智證なと申より此かた、延, との御事なれは、中々申にをよはす、桓武、嵯峨二代、ことさら傳教、弘法のつ, 門佛法をあかめ給ひし中にも、聖武天皇は東大寺大佛をつくらせ給ふほ, として、東寺にて灌頂せさせ給、, 御戒師にはすなはち寛朝僧正まいり給ひけ, とこそ、異國には隋揚帝とかや、智者大師に惣持といふ名をつけられ給ひ, 流今にたえせす、仁和寺の御室、諸僧の最頂にて、諸宗の〓務をつかさとら, せ給ふも、このいはれとそうけ給はる、圓融法皇も、御年わつか廿七にて御, かたしけなくも、帝位なから法號をさへつきおはしましゝ、ためしなきこ, し、さやうの事にもおほしなそらへけるにや、寛平法皇は御年三十あまり, せ給ひけれは、寛空僧正法皇の御弟子にて、寛朝につたはりしより、廣澤の, 又廻心戒をうけさせ給ひし時は、戒壇の上, 其後天台増命僧正にも, むねと眞言の道をきはめさ, 盆信僧正を御師, 十四日ノ條參看, 十四日ノ條參看, ○延喜元年十二月, ○延喜十年九月一, ○延喜五年四月, 十五日ノ條參看、, ○昌泰二年十月二, 十三日ノ條參看、, 十九日ノ條參看、, ○寛和元年八月二, 應永六年九月十五日, 四一

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  • 十四日ノ條參看
  • ○延喜元年十二月
  • ○延喜十年九月一
  • ○延喜五年四月
  • 十五日ノ條參看、
  • ○昌泰二年十月二
  • 十三日ノ條參看、
  • 十九日ノ條參看、
  • ○寛和元年八月二

  • 應永六年九月十五日

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  • 四一

注記 (32)

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