『大日本史料』 7編 4 応永6年7月~同8年4月 p.54

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は、慶御殿御ともにまいらる、なによりもこのいてたちのやうこそ、心もこ」, て、中門を歩出させ給ふほと、浮雲を分行月のこゝろし侍り、此間親王、關白, ゝみ出て御簾をかゝけさせ給ふ、しはしすのこにたゝせおはしまして、き, 渡殿をへて、中門の廊の南切妻戸を下て、中門の外の列にくはゝり給、西を, り、有世卿頌文をとなへ、禹歩とかやして、出御の間を出て、南階をくたる、是, をはしめて、こと〳〵く地にひさまつき給ふ、列の中を過させおはしませ, さはしをおりさせ給はんとするほとに、上童慶御殿鼻高をまいらせらる、, かりそたゝれたる、是は列して御車の後に供奉し給へき人なれはなり、法, 親王、僧綱達なとは、北方に南向に立給へり、其後南庭をへさせおはしまし, 上にて北面也、但大臣以下公卿達はさきに出給ひて、此所には左衞門督は, も當道のさほうおもしろくそ覺し、やかて階の間を出御あれは、關白殿す, 頭辨是をとりつく、關白殿はまつ前行せさせ給へきよし仰事あれは、すき, しをそ聞侍し、さて出御の期にのそみて、先寢殿の南面の簾中にて反閇あ, とはもをよはれぬ、陵王の裝束からめいて、錦をたち玉をつらね、金をのへ, たり、ともの童六人、内左右の舞曲にて、二人は青海波、四人は狛梓の裝束し, 慶御丸ノ, 以下跪居, 絶ス, ヲ出ヅ, 裝言語ニ, 義滿中門, 親王關白, 應永六年九月十五日, 五四

頭注

  • 慶御丸ノ
  • 以下跪居
  • 絶ス
  • ヲ出ヅ
  • 裝言語ニ
  • 義滿中門
  • 親王關白

  • 應永六年九月十五日

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  • 五四

注記 (24)

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