『大日本史料』 7編 4 応永6年7月~同8年4月 p.137

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

は、鎌倉殿御約束可相違、來月二日鎌倉殿御共申、同時に可企參洛、山門南都, 見なる、, も内通の子細は、鎌倉殿は今は既箱根山をも御越候らむ、いしき御大事に, 寺、伏見、深草、藤の森、小原、しは原、せ〓うの里、五里三里の片邊に、思〳〵に忍, 木戸を縛、或は女房を輿車にとりのせ、或は資財雜具を牛馬に搦付て、辛櫃, 皮子色々に所もなくそ持運ける、足よはとも引つれて、醍醐、山科、嵯峨、仁和, てこそ候はめと申、座敷を立をれゐ、絶海も無是非、すさましをに思給て、足, をり、行者歸者引きらす、三年質の倉まほり、はけ大刀、片繼され具足、流はて, はやに立、〓き上洛ありて、同廿八日、義弘か趣具被申をれは、若荒説にても, 万民皆思〳〵に用意、仰天無極、何日京都に可責上なと荒説あれは、町々に, 承候了、御政道を奉諫へきよし、鎌倉殿と同心申子細あり、今隨仰上洛仕ら, 領、先管領以下大名とも被召て御評定ありきれぬ、此事洛中披露なり、上下, やと思食つるに、さらは野心治定しけり、此上者〓き打手を可被向とて、管, たるぬるふたを、手繼をくりて責出し、呵法に取て行もあり、還而路次そ物, 〔蔗軒日録〕文明十八年三月十二日、快晴、, 慈祥佩道榮老居士至、榮七十, ○群書類從所, 收應永記同ジ、, ○中, 略, 延暦寺興, 福寺ノ内, ト一味ス, 義弘滿兼, 通ノ風聞, 質札, 應永六年十月十三日, 一三七

割注

  • ○群書類從所
  • 收應永記同ジ、
  • ○中

頭注

  • 延暦寺興
  • 福寺ノ内
  • ト一味ス
  • 義弘滿兼
  • 通ノ風聞
  • 質札

  • 應永六年十月十三日

ノンブル

  • 一三七

注記 (28)

  • 1715,681,65,2188は、鎌倉殿御約束可相違、來月二日鎌倉殿御共申、同時に可企參洛、山門南都
  • 345,673,51,210見なる、
  • 1599,680,63,2194も内通の子細は、鎌倉殿は今は既箱根山をも御越候らむ、いしき御大事に
  • 676,674,64,2200寺、伏見、深草、藤の森、小原、しは原、せ〓うの里、五里三里の片邊に、思〳〵に忍
  • 908,676,63,2201木戸を縛、或は女房を輿車にとりのせ、或は資財雜具を牛馬に搦付て、辛櫃
  • 791,670,63,2206皮子色々に所もなくそ持運ける、足よはとも引つれて、醍醐、山科、嵯峨、仁和
  • 1484,681,61,2196てこそ候はめと申、座敷を立をれゐ、絶海も無是非、すさましをに思給て、足
  • 564,678,63,2189をり、行者歸者引きらす、三年質の倉まほり、はけ大刀、片繼され具足、流はて
  • 1369,682,62,2199はやに立、〓き上洛ありて、同廿八日、義弘か趣具被申をれは、若荒説にても
  • 1024,671,62,2202万民皆思〳〵に用意、仰天無極、何日京都に可責上なと荒説あれは、町々に
  • 1831,677,65,2198承候了、御政道を奉諫へきよし、鎌倉殿と同心申子細あり、今隨仰上洛仕ら
  • 1140,673,60,2205領、先管領以下大名とも被召て御評定ありきれぬ、此事洛中披露なり、上下
  • 1254,678,60,2200やと思食つるに、さらは野心治定しけり、此上者〓き打手を可被向とて、管
  • 449,684,61,2192たるぬるふたを、手繼をくりて責出し、呵法に取て行もあり、還而路次そ物
  • 207,633,96,1260〔蔗軒日録〕文明十八年三月十二日、快晴、
  • 217,2039,60,840慈祥佩道榮老居士至、榮七十
  • 367,893,44,408○群書類從所
  • 324,897,40,406收應永記同ジ、
  • 253,1902,40,108○中
  • 208,1901,41,38
  • 1666,324,42,166延暦寺興
  • 1623,323,38,168福寺ノ内
  • 1825,325,38,160ト一味ス
  • 1867,323,42,170義弘滿兼
  • 1577,323,41,167通ノ風聞
  • 460,316,44,84質札
  • 123,748,44,387應永六年十月十三日
  • 116,2501,45,113一三七

類似アイテム