『大日本史料』 7編 4 応永6年7月~同8年4月 p.199

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

先に破らむと責きれは、城中乃四方の矢櫓より、究竟の強弓勢兵はしつめ, を始として、一門五百餘騎、管領の手に入かへて、散々に戰ぬ、城中より杉豐, 手負七百餘人、難儀に及けるに、遊佐手負なから一足も退かす、なを敵の中, 引つめ散々に射、或は石弓を放きり、爰に管領の手二千餘騎、北の方乃一二, にて、今川の上総入道、結城越後入道と日々に矢軍有て支たりきるも呼と, に走入、打死をむとしけれぬ、管領の子息尾張守、遊佐討すなとて懸入。命を, り、守主山に杉備中か有けるをも堺に呼返し、一所に成てひとへに打死さ, て、十一月廿九日卯の刻より押寄て、御方三萬餘騎、〓楯の板を告ゝた、一度, 惜ます責戰、卯時より戌時まて戰きる處に、山名右衞門佐入道、同民部少輔, を合す、敵御方の時乃聲、天地も響き、山海も破りと覺たり、御方四方より、我, 後、同備中、野上の豐前を先として、五百餘騎切て出て、向敵を追しさらかす, むとそ出立きる、けて打手の評議には、是程の平城只一束に責落すへしと, の木戸を責破て、已こ三の木戸を破らむと、手いたく戰間、遊佐を始として、, に時を作れは、城内にも五千餘騎、大皷を打、矢櫓かいたてを告ゝき、時の聲, 大内今は諸方をかゝへて何にかをんとて、杉九郎次郎二百餘騎、森口の城, 滿藤ノ勢, ヲ支フ, 寄手ノ軍, 秦範結城, ノ木戸ヲ, 口ニ今川, 議, 北ノ一二, 基國ノ勢, 山名時煕, 杉正之守, 破ル, 畠山滿家, 應水六年十一月二十九日, 一九九

頭注

  • 滿藤ノ勢
  • ヲ支フ
  • 寄手ノ軍
  • 秦範結城
  • ノ木戸ヲ
  • 口ニ今川
  • 北ノ一二
  • 基國ノ勢
  • 山名時煕
  • 杉正之守
  • 破ル
  • 畠山滿家

  • 應水六年十一月二十九日

ノンブル

  • 一九九

注記 (30)

  • 1005,698,62,2195先に破らむと責きれは、城中乃四方の矢櫓より、究竟の強弓勢兵はしつめ
  • 306,695,65,2205を始として、一門五百餘騎、管領の手に入かへて、散々に戰ぬ、城中より杉豐
  • 657,698,61,2198手負七百餘人、難儀に及けるに、遊佐手負なから一足も退かす、なを敵の中
  • 888,698,62,2195引つめ散々に射、或は石弓を放きり、爰に管領の手二千餘騎、北の方乃一二
  • 1704,706,61,2194にて、今川の上総入道、結城越後入道と日々に矢軍有て支たりきるも呼と
  • 540,704,61,2197に走入、打死をむとしけれぬ、管領の子息尾張守、遊佐討すなとて懸入。命を
  • 1588,708,59,2195り、守主山に杉備中か有けるをも堺に呼返し、一所に成てひとへに打死さ
  • 1356,707,60,2191て、十一月廿九日卯の刻より押寄て、御方三萬餘騎、〓楯の板を告ゝた、一度
  • 424,697,63,2205惜ます責戰、卯時より戌時まて戰きる處に、山名右衞門佐入道、同民部少輔
  • 1121,699,64,2199を合す、敵御方の時乃聲、天地も響き、山海も破りと覺たり、御方四方より、我
  • 191,690,64,2210後、同備中、野上の豐前を先として、五百餘騎切て出て、向敵を追しさらかす
  • 1473,704,59,2194むとそ出立きる、けて打手の評議には、是程の平城只一束に責落すへしと
  • 771,702,63,2211の木戸を責破て、已こ三の木戸を破らむと、手いたく戰間、遊佐を始として、
  • 1237,706,62,2197に時を作れは、城内にも五千餘騎、大皷を打、矢櫓かいたてを告ゝき、時の聲
  • 1819,707,62,2189大内今は諸方をかゝへて何にかをんとて、杉九郎次郎二百餘騎、森口の城
  • 1742,346,42,171滿藤ノ勢
  • 1701,348,36,117ヲ支フ
  • 1510,341,44,174寄手ノ軍
  • 1789,345,42,171秦範結城
  • 873,344,39,161ノ木戸ヲ
  • 1835,348,39,169口ニ今川
  • 1467,341,43,41
  • 917,338,40,166北ノ一二
  • 960,337,43,174基國ノ勢
  • 438,336,40,172山名時煕
  • 1877,345,44,172杉正之守
  • 826,337,43,76破ル
  • 552,334,42,173畠山滿家
  • 93,770,43,474應水六年十一月二十九日
  • 89,2522,44,115一九九

類似アイテム