『大日本史料』 7編 7 応永12年正月~同13年5月 p.406

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て、願阿彌陀佛、純阿彌陀佛と名を改てありしか、修行の供し、靈地ともおか, 念佛往生の同行となり、一蓮託生の契約をなし給へり、, み申度と望しかは、同道してそ出られける、長坂を過き、臍見峠なと越て、生, 的當する事を、經釋を引て談せしかは、感嘆して、時衆となりて名を改、快圓, 文和元年夏の比、丹後國へ修行に出給ふ、廣法寺の若年の比丘衆を勸化し, しはらく逗留して、善導所立の安心、又時衆離三業の安心の、他力の法義に, 彌陀佛」と名付、覺尊坊を純阿彌陀佛と名付、南海坊を道阿彌陀佛と名付て, 比丘を師阿彌陀佛と名付、惠玄比丘は願阿彌陀佛と名付、傳惠比丘を智阿, たき事を演説し、白地底下の凡夫は、二百五十戒のたもちかたく、凡俗を度, 法寺とて律宗の寺あり、比丘四五輩物さひしく住けり、此所に宿りて、我天, しかたき事を問答せしかは、比丘衆應問して、念佛の行人となれり、此所に, 台を出て、念佛の行人となり、濁世末法の機には、稱名にあらすは出離しか, 貞和五年の秋、大江山を越、丹波國に至り、桑田郡在々所々をめくりしに、廣, 野の里につきしかは、名におふ夏引の糸、賤のめか布さらすなと、哀なる世, 四, 丹波廣法, 但馬生野, ノ民ヲ化, ヲ化ス, 寺ノ律僧, 應永十二年九月十一日, 四〇六

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  • 丹波廣法
  • 但馬生野
  • ノ民ヲ化
  • ヲ化ス
  • 寺ノ律僧

  • 應永十二年九月十一日

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  • 四〇六

注記 (22)

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