『大日本史料』 7編 7 応永12年正月~同13年5月 p.465

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詣る人、かならす爰に來り、是を御國詣といふ、此事洛東靈山正法寺、雙林寺, にあり、それを傚ふと見へたり、正法寺に伊勢熊野の社參に、觸穢除祓の印, して、國阿〓陀佛と號す、京靈鷲三正法寺の〓にいはく、國阿彌始の名は空、, 氣色面白し、, 苦修して靈場を經歴し、偶遊行七代他阿上人に〓し、時宗の法を禀る、應永, 祈る、靈夢を感得して生る、成人して聰明なり、文和四年、四十二歳、遁世發心, 上人之弟子と云ときは、國阿上人は箸崎氏なること明し、嘗伊勢大神宮に, り、安氏箸崎國利の子也、諱は國明、父母子なきを以て、十一面觀自在の像に, 氏八幡太郎義家十代の孫、俗名石堂右馬頭頼房、盛年にして出家し、一遍上, 價をとれり、其地高場の處なれは、眼下の景致よろし、わきて秋の日楓林の, 人の流を汲て、深く伊勢熊野を信じ、應永十二年九月化すと云々, 國阿堂國阿彌の自畫あり、倚子によつて合掌す、國阿は播磨の國の人な, 石堂, 十二年九月十一日寂す、〓十六歳と云々、傳にいはく、釋國阿諱國空、姓は源, 系圖には、頼房は頼義の孫義房の息なり、東山靈山正法寺に住して、爲國阿, 山に傚て、遊人醉客のために坐鋪をかし、乞ものあれは精進食を製造して, ○中, 略, 自畫像, 御國詣, 應永十二年ノ月十二〓, 四六五

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  • 應永十二年ノ月十二〓

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  • 四六五

注記 (22)

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