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しぬ、, 作者たり、後々別に傳あり、, 渡唐天神の御影とて世にあり、いかなるいはれにや、いぶかしくおもひ侍る、しかるに, うつして渡せしを、寛耀法師うつしゝに讚すとて詩をのせり、貞和二年秋とあり、これ, によてふしんをはらしぬ、あんするに、異國よりわたしゝといへるも、およそ其比の事, 四歳にて終る、墓は雙林寺にあり、, 山に住し, 印を相續す、經賢の子を堯尋と云、おなしく執當法印たり、堯尋の子を堯孝と云、和歌, あるひは雙林寺にも住せしと云、西行の舊跡をしたはれたりとも云にや、文中元年八十, 所の開〓として、權大僧都法印に任す、詠歌のほまれ曾祖にはちす、新續古今和歌集の, さてこ, 寶慈院故周〓禪尼、, 樹の下の寺にもちつたふるは、逍遙院入道前内大臣實隆公の, 畫なり、紅梅の枝をもちて書きおくられしよし、くはしくしるしゝ紀そへり、, 頓阿の子を經賢と云、梶井の執當法, とし、, はからす高雄山の寛耀法師のうつせし靈像に、頓阿法師の讚かけるを感得, 讚にいはく、異國の人、天神の御影を夢中に感せしまゝに、, 〔閑窓自語〕渡唐天神畫感得事, 阿法師略傳異事ナシ, ○櫻園叢書卅九所收頓, 天保壬寅迄四百○中, 先年逍遙院の畫見及ひ, 七十一年たり、略, しにすこしもたかはす, 五年, ○中, 寛政, となり、, 興國阿上人より時宗に改む、國阿上人は文和四年に出家なり、頓阿六十七歳の時なれは同宿せしか、, 略, いもう, ・靈山は今靈鷲山正法寺と云、東山にあり、はしめは傳教大師開基にして、天治の別院たりしか、サ, 雙林寺ニ住, 渡唐天神像, 雙林寺ニ葬, 頓阿ノ贊, ス, ル, 南朝文中元年北朝應安五年三月十三日, 二八七
割注
- 阿法師略傳異事ナシ
- ○櫻園叢書卅九所收頓
- 天保壬寅迄四百○中
- 先年逍遙院の畫見及ひ
- 七十一年たり、略
- しにすこしもたかはす
- 五年
- ○中
- 寛政
- となり、
- 興國阿上人より時宗に改む、國阿上人は文和四年に出家なり、頓阿六十七歳の時なれは同宿せしか、
- 略
- いもう
- ・靈山は今靈鷲山正法寺と云、東山にあり、はしめは傳教大師開基にして、天治の別院たりしか、サ
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- 雙林寺ニ住
- 渡唐天神像
- 雙林寺ニ葬
- 頓阿ノ贊
- ス
- ル
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- 南朝文中元年北朝應安五年三月十三日
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- 二八七
注記 (41)
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