『大日本史料』 7編 25 応永23年8月~同年雑載 p.91

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館の戰に敗北して兩國の兵に見限られけり、, 向、先濱面法界門には長尾出雲守を初として、房州手勢來繩口小路佐竹左馬介、藥〓, 立けり、房州は御所へ馳參り、上樣いまた恙なく御座候、御供申是へ奉入へし、若又, とて犬懸よりもかゝらす、佐介よりも不寄、同四日未明より佐介之口々へ御勢を被指, 天のせめのかるへからす、又禪秀は去應永九年の夏、奧州伊達大膳大夫退治之時、赤, 堂面をは結城彈正、無量寺口をは上杉藏人大夫憲長、氣生坂をは三浦・相模人々、扇, 内左衞門、其外木部・寺尾・白倉・加沼・金子・金田を初として、宗徒兵七百余騎打, 御所中を敵取卷申さは、西御門に火をかけ、寶壽院へ推寄、一戰たるへきよし申合處, 何様前濱には軍勢充滿す、打立たまへと呼、其時憲基物具したまふ、相伴兵には長尾, に、持氏公是へ入せ給へは、皆人大によろこひ、色をなをしいさみける、翌日は惡日, んやと宣ひける處、上杉藏人大夫憲長十四騎にて馳來、門を扣かせ、敵味方は不知、, 出雲守・大石源左衞門・羽繼修理大夫・舍弟彦四郎・安保豐後守・惟助五郎・長井藤, す、何ほとの事か有へき、先其大將の滿隆は先年雜説以の外にて御大事に及しを、親, にても大全か蒙恩、御命を扶り給ひ、何之間に我等に向、左樣之惡事思ひ立たまはゝ、, 今更何者かかれにしたかわ, 二十一日條參看、, ○應永九年五月, 邸二入ル, 持氏憲基ノ, 陣セントス, 上杉憲基出, 應永二十三年十月二日, 九一

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  • 二十一日條參看、
  • ○應永九年五月

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  • 邸二入ル
  • 持氏憲基ノ
  • 陣セントス
  • 上杉憲基出

  • 應永二十三年十月二日

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  • 九一

注記 (23)

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