『大日本史料』 7編 25 応永23年8月~同年雑載 p.128

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士繩小路へは佐竹左馬助義憲二百七十よ騎にて向はる、藥師堂面へは結城彈正少弼二, は長尾出雲守入道郎從二百余騎、上杉安房守憲基か手勢百騎をさしそへて向らる、海, さらは諸口に人數を出して防くへしとて、方々の手分をそいたしける、濱面法界門へ, と馳まいり五千よ騎に成たり、禪秀はすてに持氏御所を落て佐介の亭に入給ふと聞て、, へは三浦介手勢五百騎、相州在々の驅武者五十騎を卒してかけ向ふ、扇か谷へは上杉, 藤内左衞門尉、其外木部・寺尾・小幡・白倉・加沼・金子・金田・刀石の輩、我も〳〵, 禪秀か館に引しりそく、持氏のおはします憲基か亭へ馳來る人々には、上杉修理大夫, 百よ騎にて向らる、無量寺口へは上杉憲光か男藏人憲長百七十騎にて馳向ふ、氣生坂, 人數を點檢するに七千よ騎なり、是をもつて押よせ、たゝかひを一擧に決し、欝を片, 時に散せんと、同十月四日の辰の刻に佐介の亭にをしよすると聞えしかは、上杉憲基, 滿朝・長尾出雲守・大石源左衞門尉・羽繼修理亮・同舍弟彦四郎・安保丹後守・長井, 伊豫守顯定か子息彈正少弼・同男治部少輔持定四百五十騎にてかためたり、殘る軍兵, は諸方の責口弱からん方へ加勢の爲とて、佐介の館に留置る、新御堂滿隆は五百よ騎, 都合五百余人御所中にあつまりふせきたゝかふ、寄手かなはすして四方になひき散て、, 應永二十三年十月二日, 應永二十三年十月二日, 一二八

  • 應永二十三年十月二日

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  • 一二八

注記 (17)

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