『大日本史料』 8編 1 応仁元年正月~同2年7月 p.10

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の翔の濫觴になむ, つかへまつりしが、その翔の所作に附て奇代の名譽あり、是いはゆな追打, せられて、觀世大夫祝章つかへまつる事恒例なりき, はゆる勸進能と云事出來て、第二度の勸進なり, 毎年正月四日は、殿中にて御謠初の規式行は, 今も大將軍, 勸進能樂行, 文安年中, 經營しためき、此は世にい, ひしが、此時將軍家の棧敷をば管領細川某, 営時將軍家, 舞正語磨に云、嘉吉三年癸亥の五月五日に、公方の御前, 守信光の氏族, 寶徳年中、將軍義政の母堂, 年號月日いま, 勝智院殿洛西に隱居して, 美給ひけなとぞ、是よ〓して善知鳥の, 御規式次第に云、正月, 四日、於殿中御謡初、觀, 追打とて、翔に秘傳の習ありとなむ、, 出大夫役人少々伺候、同五日御成畠山館、能御覽、同十日伊勢守, 傳にを云〓、, にて觀世世阿彌御能したるに、うとふの翔の〓中に、燕, 弘源, だ詳ならす、, 〓入き、燕を一ツ打落し、やがて左の水衣の袖の下にぞ隱しけふ、殘る一ッの, 燕友を尋てきゝと鳴けなを見て、ひら〓と臥て持たる杖にく燕を指て、親, りぬ、折ふし小鼓几上にあり、撃弄をむ事を吉久にあとら〓給ふ、然れどシ, 舘御成、能御覽、同十四日於殿中松囃并平家有之と見えたり, 人歌を聽が如し、其曲調は何にと問〓は、これ置鼓なり、其節度は名稱に稱, 〓と云〓、是いはゆる置鼓の濫觴なり、正名悶言云、今小鼓應人需髣輙用, おはをしを、慰めまおらをむが爲に、僧香琳檜垣木與五郎吉久を誘ひて參, は空にて血の泪を、と謠ひ出したわ〓りば、簾中シ庭上もさゞめき亘て褒, 二匹飛來〓、舞臺の内を飛〓るを、世阿彌きと見て、橘掛よりすると走, 觀世方にて小鼓を撃しが、少し述懷の事ありて、今春方〓行〓、此美濃權〓, は、當時權守と稱をし伎藝通達の四人の内なる其一人なり、なほ小次郎權, 一り、後に秦宗祐と號す、即似我與左衞門國廣が祖父なり、五世之重の時迄、, 之、亦吉久之所傳也、巨鼓乃鼓次第云と云り、はた吉久は、世に美濃權守と稱, 〓謡とをに其人なくして、進退維谷〓り、命の數なるに及びて、やがて行ひ, ぬ、号し關りて、又をとの几上に置ぬ、香琳側に在、こ〓を聽て云、郭洗馬が妓, 政, 寺、, 義, とり、後に秦宗祐と號す、即似我與左衞, 謠初ノ規, の濫觴, 追打の翔, 式, 應仁元年正月二日, 一〇

割注

  • 舞正語磨に云、嘉吉三年癸亥の五月五日に、公方の御前
  • 守信光の氏族
  • 寶徳年中、將軍義政の母堂
  • 年號月日いま
  • 勝智院殿洛西に隱居して
  • 美給ひけなとぞ、是よ〓して善知鳥の
  • 御規式次第に云、正月
  • 四日、於殿中御謡初、觀
  • 追打とて、翔に秘傳の習ありとなむ、
  • 出大夫役人少々伺候、同五日御成畠山館、能御覽、同十日伊勢守
  • 傳にを云〓、
  • にて觀世世阿彌御能したるに、うとふの翔の〓中に、燕
  • 弘源
  • だ詳ならす、
  • 〓入き、燕を一ツ打落し、やがて左の水衣の袖の下にぞ隱しけふ、殘る一ッの
  • 燕友を尋てきゝと鳴けなを見て、ひら〓と臥て持たる杖にく燕を指て、親
  • りぬ、折ふし小鼓几上にあり、撃弄をむ事を吉久にあとら〓給ふ、然れどシ
  • 舘御成、能御覽、同十四日於殿中松囃并平家有之と見えたり
  • 人歌を聽が如し、其曲調は何にと問〓は、これ置鼓なり、其節度は名稱に稱
  • 〓と云〓、是いはゆる置鼓の濫觴なり、正名悶言云、今小鼓應人需髣輙用
  • おはをしを、慰めまおらをむが爲に、僧香琳檜垣木與五郎吉久を誘ひて參
  • は空にて血の泪を、と謠ひ出したわ〓りば、簾中シ庭上もさゞめき亘て褒
  • 二匹飛來〓、舞臺の内を飛〓るを、世阿彌きと見て、橘掛よりすると走
  • 觀世方にて小鼓を撃しが、少し述懷の事ありて、今春方〓行〓、此美濃權〓
  • は、當時權守と稱をし伎藝通達の四人の内なる其一人なり、なほ小次郎權
  • 一り、後に秦宗祐と號す、即似我與左衞門國廣が祖父なり、五世之重の時迄、
  • 之、亦吉久之所傳也、巨鼓乃鼓次第云と云り、はた吉久は、世に美濃權守と稱
  • 〓謡とをに其人なくして、進退維谷〓り、命の數なるに及びて、やがて行ひ
  • ぬ、号し關りて、又をとの几上に置ぬ、香琳側に在、こ〓を聽て云、郭洗馬が妓
  • 寺、
  • とり、後に秦宗祐と號す、即似我與左衞

頭注

  • 謠初ノ規
  • の濫觴
  • 追打の翔

  • 應仁元年正月二日

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  • 一〇

注記 (50)

  • 1690,751,52,511の翔の濫觴になむ
  • 1804,749,57,2036つかへまつりしが、その翔の所作に附て奇代の名譽あり、是いはゆな追打
  • 395,762,53,1449せられて、觀世大夫祝章つかへまつる事恒例なりき
  • 1152,752,54,1319はゆる勸進能と云事出來て、第二度の勸進なり
  • 505,1552,53,1248毎年正月四日は、殿中にて御謠初の規式行は
  • 297,2487,48,313今も大將軍
  • 1376,2475,52,317勸進能樂行
  • 1372,1810,51,257文安年中
  • 1265,2079,53,709經營しためき、此は世にい
  • 1258,753,56,1186ひしが、此時將軍家の棧敷をば管領細川某
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