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の翔の濫觴になむ, つかへまつりしが、その翔の所作に附て奇代の名譽あり、是いはゆな追打, せられて、觀世大夫祝章つかへまつる事恒例なりき, はゆる勸進能と云事出來て、第二度の勸進なり, 毎年正月四日は、殿中にて御謠初の規式行は, 今も大將軍, 勸進能樂行, 文安年中, 經營しためき、此は世にい, ひしが、此時將軍家の棧敷をば管領細川某, 営時將軍家, 舞正語磨に云、嘉吉三年癸亥の五月五日に、公方の御前, 守信光の氏族, 寶徳年中、將軍義政の母堂, 年號月日いま, 勝智院殿洛西に隱居して, 美給ひけなとぞ、是よ〓して善知鳥の, 御規式次第に云、正月, 四日、於殿中御謡初、觀, 追打とて、翔に秘傳の習ありとなむ、, 出大夫役人少々伺候、同五日御成畠山館、能御覽、同十日伊勢守, 傳にを云〓、, にて觀世世阿彌御能したるに、うとふの翔の〓中に、燕, 弘源, だ詳ならす、, 〓入き、燕を一ツ打落し、やがて左の水衣の袖の下にぞ隱しけふ、殘る一ッの, 燕友を尋てきゝと鳴けなを見て、ひら〓と臥て持たる杖にく燕を指て、親, りぬ、折ふし小鼓几上にあり、撃弄をむ事を吉久にあとら〓給ふ、然れどシ, 舘御成、能御覽、同十四日於殿中松囃并平家有之と見えたり, 人歌を聽が如し、其曲調は何にと問〓は、これ置鼓なり、其節度は名稱に稱, 〓と云〓、是いはゆる置鼓の濫觴なり、正名悶言云、今小鼓應人需髣輙用, おはをしを、慰めまおらをむが爲に、僧香琳檜垣木與五郎吉久を誘ひて參, は空にて血の泪を、と謠ひ出したわ〓りば、簾中シ庭上もさゞめき亘て褒, 二匹飛來〓、舞臺の内を飛〓るを、世阿彌きと見て、橘掛よりすると走, 觀世方にて小鼓を撃しが、少し述懷の事ありて、今春方〓行〓、此美濃權〓, は、當時權守と稱をし伎藝通達の四人の内なる其一人なり、なほ小次郎權, 一り、後に秦宗祐と號す、即似我與左衞門國廣が祖父なり、五世之重の時迄、, 之、亦吉久之所傳也、巨鼓乃鼓次第云と云り、はた吉久は、世に美濃權守と稱, 〓謡とをに其人なくして、進退維谷〓り、命の數なるに及びて、やがて行ひ, ぬ、号し關りて、又をとの几上に置ぬ、香琳側に在、こ〓を聽て云、郭洗馬が妓, 政, 寺、, 義, とり、後に秦宗祐と號す、即似我與左衞, 謠初ノ規, の濫觴, 追打の翔, 式, 應仁元年正月二日, 一〇
割注
- 舞正語磨に云、嘉吉三年癸亥の五月五日に、公方の御前
- 守信光の氏族
- 寶徳年中、將軍義政の母堂
- 年號月日いま
- 勝智院殿洛西に隱居して
- 美給ひけなとぞ、是よ〓して善知鳥の
- 御規式次第に云、正月
- 四日、於殿中御謡初、觀
- 追打とて、翔に秘傳の習ありとなむ、
- 出大夫役人少々伺候、同五日御成畠山館、能御覽、同十日伊勢守
- 傳にを云〓、
- にて觀世世阿彌御能したるに、うとふの翔の〓中に、燕
- 弘源
- だ詳ならす、
- 〓入き、燕を一ツ打落し、やがて左の水衣の袖の下にぞ隱しけふ、殘る一ッの
- 燕友を尋てきゝと鳴けなを見て、ひら〓と臥て持たる杖にく燕を指て、親
- りぬ、折ふし小鼓几上にあり、撃弄をむ事を吉久にあとら〓給ふ、然れどシ
- 舘御成、能御覽、同十四日於殿中松囃并平家有之と見えたり
- 人歌を聽が如し、其曲調は何にと問〓は、これ置鼓なり、其節度は名稱に稱
- 〓と云〓、是いはゆる置鼓の濫觴なり、正名悶言云、今小鼓應人需髣輙用
- おはをしを、慰めまおらをむが爲に、僧香琳檜垣木與五郎吉久を誘ひて參
- は空にて血の泪を、と謠ひ出したわ〓りば、簾中シ庭上もさゞめき亘て褒
- 二匹飛來〓、舞臺の内を飛〓るを、世阿彌きと見て、橘掛よりすると走
- 觀世方にて小鼓を撃しが、少し述懷の事ありて、今春方〓行〓、此美濃權〓
- は、當時權守と稱をし伎藝通達の四人の内なる其一人なり、なほ小次郎權
- 一り、後に秦宗祐と號す、即似我與左衞門國廣が祖父なり、五世之重の時迄、
- 之、亦吉久之所傳也、巨鼓乃鼓次第云と云り、はた吉久は、世に美濃權守と稱
- 〓謡とをに其人なくして、進退維谷〓り、命の數なるに及びて、やがて行ひ
- ぬ、号し關りて、又をとの几上に置ぬ、香琳側に在、こ〓を聽て云、郭洗馬が妓
- 政
- 寺、
- 義
- とり、後に秦宗祐と號す、即似我與左衞
頭注
- 謠初ノ規
- の濫觴
- 追打の翔
- 式
柱
- 應仁元年正月二日
ノンブル
- 一〇
注記 (50)
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- 505,1151,47,323営時將軍家
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