『大日本史料』 8編 1 応仁元年正月~同2年7月 p.62

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事は、有若傍の謂とや申さん、遠き慮りなき者は近き憂へありといへり、か, くて山名、細川一家の縁なれは、過にし義敏出頭の訴訟まては、恨見の色も, は、始終を搜括して、直き路に入しむへし、一旦の知音より、一朝の煩ひを引, り、將軍の家に天下の職を守る大家, へとも、敵する大將もいまた失をす、畠山の其名は二〓に殘るとも、立入, 落武者共、少々翌日生害すと聞ゆ、爰に細川方上意に覆をられて、當座を見, 邊に寄宿をり、さるほとに天下の大儀と成て、氏の靈神を惱まし奉るとい, 醒とり、朝家の不吉是より始れり、言語道斷々々々々、相國寺に隱れ居たな, 形の跡を見は、灰燼と成れる燒野には、人跡絶て滅亡せり、今迄は囘祿の沙, そ、今迄一家人一統して、是非の沙汰もなかりしに、他家の知音に名を犯し、, 汰を逃れしに、彼方五町十町の間呆は、鳥類の外は通ふ類ひも見えさりた, ふ落武者共、一百餘人殘りたり、皆大將に隨ひつゝ、又細川の橋につき、管領, 遁したれとも、大將いまた生涯をされは、憑みを懸る縁も盡をす、流れに隨, 兩家は、同し體に錯亂をり、細川計, 天下の口遊み出來をり、千里の路は一歩より始まる、知音を興する縁と成, なかのりしに、御靈合戰以後は、自一家契約を引替て、怨害の意甚し、山名の入, 武衞, 畠山, 御靈合戰, 以後ノ細, 川ト山名, 應仁元年正月十八日, 六二

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  • 武衞
  • 畠山

頭注

  • 御靈合戰
  • 以後ノ細
  • 川ト山名

  • 應仁元年正月十八日

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  • 六二

注記 (23)

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