『大日本史料』 8編 2 応仁2年8月~文明元年9月 p.331

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に卒す、, て、保寧山瑠璃光寺と名づけ, 延徳四年、其菩提の爲に一寺を、妻仁保右衞門大夫盛郷の女、法名華, 谷妙榮の領地、吉敷郡仁保莊小高野に建立し、弘房の持佛藥師を本尊とし, 文月道周と法名す, 盛政, 其牌を安置す、, 大内氏實録〕, 妻仁保氏、弘護、弘詮を生む、, 〔陶, 應仁二年十一月二十四日, 抄榮、爲一期領、雖預置之、既於此地遂寺家造畢之功之條、洞者則〓彼地〓〓, 古文書、寺傳に、文明三年造立、安養寺と號す、明, 系圖に、, 記抄、古文書, 系圖、保寧日, 應元年、境致狹隘なるを以て、隣山に移し、瑠璃, 瑠璃光, 國寺合戰に死せるなるべし、さてこれを終, といひ、卒といふは、忌みてしかいへるの, 法名泉, 附録之一, 寺牌、, 合戰鬪死とじ、瑠璃光寺の傳も戰死として、贊の十一月廿四日、家父, 大内系圖, に移りて、最後元祿三年、今の地土宇野村の香積〓(, つくへき構なりけんを、弘房の持佛藥師を本尊, 疑あい、按る〓、十四日は、二十四日の誤にて、其死は系圖等にいふが如く、相, 一房終于京師之營中日記の十一月廿四日、於〓陽卒上あるに合〓ドる〓, としける故、瑠璃光寺と改めしにぞあるべき、, 徳房、五郎、越前守、長門, 警〓に移れるなり、今に仁保に本寺の址二所あり, 同上、及風土注進所〓保寧日記抄、」系圖十一月十四日、於格陽相國〓, 守護代、周防守護代, 寺と政むといふは非なり、本寺はじめより瘤〓光寺と號て、安養〓, 〓別寺がり、さるは。永正三年十一月十五日、兵庫頭弘詮の文書に、奉寄進, 〓光寺とす、泉福院いづこにありしか知られドず、按るは, して、安養寺よク牌を移し、後に安養寺自敦〓〓等、体詩の領地にな〓ヽ〓御, 璃光寺云々、加元安養寺自收菴〓等事、右當待者、。先考〓明〓焜〓〓〓〓、, を建立するまでは、仁保氏、夫弘房の牌を、安養寺に安置しけるにだあ, 〓、及はて延徳四年、則明應元年、弘房の廿五囘忌に當るを以て、本寺を建立, 〓〓四年令建立、以彼地所、所寄附之状如件、爰件地者、建忠領地以來、對老m, 〓やまゴるな〓、さて最初建立の地は、寺傳の如く、狹隘なりしを以て、隣, 〓者、彌可爲本懷云々と見ゆるをや、さるを寺傳につく云ふは、按ふに、本土, 〓〓院は、瑠璃光寺を建立するまでの法名にて、初め菩提寺の寺號、しか, 抄榮、爲一期領、雖預置之、既於此地遂寺家造畢之功之條、洞者則〓彼地〓〓, 同上、及風土注進所載保寧日記払, 〓院云々、或法名瑠璃光寺とす、泉福院〓〓こに〓め〓〓〓の〓, 〓建立するまでの法名にて、初め菩提寺の寺號、しかム, 璃光寺, 保寧山瑠, 世系, 應仁二年十一月二十四日, 三三一

割注

  • 古文書、寺傳に、文明三年造立、安養寺と號す、明
  • 系圖に、
  • 記抄、古文書
  • 系圖、保寧日
  • 應元年、境致狹隘なるを以て、隣山に移し、瑠璃
  • 瑠璃光
  • 國寺合戰に死せるなるべし、さてこれを終
  • といひ、卒といふは、忌みてしかいへるの
  • 法名泉
  • 附録之一
  • 寺牌、
  • 合戰鬪死とじ、瑠璃光寺の傳も戰死として、贊の十一月廿四日、家父
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  • つくへき構なりけんを、弘房の持佛藥師を本尊
  • 疑あい、按る〓、十四日は、二十四日の誤にて、其死は系圖等にいふが如く、相
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  • 同上、及風土注進所〓保寧日記抄、」系圖十一月十四日、於格陽相國〓
  • 守護代、周防守護代
  • 寺と政むといふは非なり、本寺はじめより瘤〓光寺と號て、安養〓
  • 〓別寺がり、さるは。永正三年十一月十五日、兵庫頭弘詮の文書に、奉寄進
  • 〓光寺とす、泉福院いづこにありしか知られドず、按るは
  • して、安養寺よク牌を移し、後に安養寺自敦〓〓等、体詩の領地にな〓ヽ〓御
  • 璃光寺云々、加元安養寺自收菴〓等事、右當待者、。先考〓明〓焜〓〓〓〓、
  • を建立するまでは、仁保氏、夫弘房の牌を、安養寺に安置しけるにだあ
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  • 〓〓四年令建立、以彼地所、所寄附之状如件、爰件地者、建忠領地以來、對老m
  • 〓やまゴるな〓、さて最初建立の地は、寺傳の如く、狹隘なりしを以て、隣
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  • 抄榮、爲一期領、雖預置之、既於此地遂寺家造畢之功之條、洞者則〓彼地〓〓
  • 同上、及風土注進所載保寧日記払
  • 〓院云々、或法名瑠璃光寺とす、泉福院〓〓こに〓め〓〓〓の〓
  • 〓建立するまでの法名にて、初め菩提寺の寺號、しかム

頭注

  • 璃光寺
  • 保寧山瑠
  • 世系

  • 應仁二年十一月二十四日

ノンブル

  • 三三一

注記 (54)

  • 1855,648,49,206に卒す、
  • 1262,649,66,852て、保寧山瑠璃光寺と名づけ
  • 1503,850,76,2021延徳四年、其菩提の爲に一寺を、妻仁保右衞門大夫盛郷の女、法名華
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