『大日本史料』 12編 14 慶長十九年五月~同年九月 p.791

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長の侍女といふが誤か、, 思ふべし, 合するに、みな此ばし、さて信長は天文元年の生なり、此千句は天文九年に, さて信長か侍女の作なりと, もいふ如く、阿通が事を附會せしは慶安ヨり後か、又實ニ阿通か作にて、信, 慶安の印本、および守武が現在の世をさる〓遠からぬ古寫本をもつて校, に、淨瑠璃御前の事より起りし事は見えたれど、作者のことは不載、さきに, て、信長僅ニ九才のときなり、阿通といふ侍女はありもせんが、淨瑠璃とい, 因ニ云、十二段のさうし、今つたはるは正保三年の印本、又寛文の印本活板, 徳の比の册子にてはいまだ見いでず、慶安二年作よだれかけ, 享祿四年は、信長か生る前年なり、此記宇津山にて書るなれば、當時はや田, ふもの、十にもたらざる人のなぐさみに綴りしものともおもはれず、又, 座頭に淨瑠璃をつたれとつけ、又淨瑠璃にうし若とつけたり、, 柴屋軒宗長日記享祿四年の條, 舍りたらひする小座頭のうたふといふにて、淨瑠璃はふるきものなるを, いふ附會の説は、貞享、元禄の比よりの雜書にはおほく見えたれど、寛永、正, ○中略、上ノ宗, 梓刻は、寛文, 長日記ニ同ジ、, ヽ宗長は、天文元年三月六日沒と二根, 集に見えり、信長公が生るゝ年也、, 三年なり、, 者お通説, 淨瑠璃作, ノ初見, 慶長十九年九月二十一日, 七九一

割注

  • ○中略、上ノ宗
  • 梓刻は、寛文
  • 長日記ニ同ジ、
  • ヽ宗長は、天文元年三月六日沒と二根
  • 集に見えり、信長公が生るゝ年也、
  • 三年なり、

頭注

  • 者お通説
  • 淨瑠璃作
  • ノ初見

  • 慶長十九年九月二十一日

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  • 七九一

注記 (27)

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