『大日本史料』 8編 4 文明2年雑載~同3年11月 p.485

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

行ひ給ひたり, 城に楯籠り、關東さわかし, かゝる處, て、かく北畠殿をしたしみな何挙らる、けれと靜謐の後は國司一家を亡さ, へとも、俄に打亡すへからされを知りて、和議を調へらる、北畠殿も宮方の, 等、元弘建武此方武家押領したりしを、此度神宮へ返し附られ、國司をして, に、もし宮方蜂起せと、天下の大事ならんと武家思ひめくらさるゝにより, さなくまし〳〵〓れき、叔父大河内顯雅卿うしろ見して、國司の事を攝し, の六郷、多氣郡齋宮、飯野郡相可の庄なり、其外諸郡中にありたる神戸御厨, ふ、武家是を悦ひて、永享十二年に至て、世保氏の伊勢守護職を罷めて、專ら, 勢ます〳〵衰微したるを見て、心ならすもしはらく是に從ひて和睦し給, 國司の成敗にまかせらる、但し長野一家、關一黨は足利家に屬しけり、此時, 滿雅朝臣打死し給へと、北畠殿の武威未落さりたれき、武家心にくゝおも, 伊勢の國の分領をけためらる、先神三郡といふき、度會郡山田の三保、宇治, 奉行せしめらる、此頃下總の結城氏朝、足利持氏の子春王安王をもりたて, 教具朝臣わづかに七歳にて家を嗣き給ふ、あまりにを, ○氏朝。春王安王ヲ其城ニ迎ヘシコト、, 永享十二年三月十五日ノ條ニアリ、, ○中, 一日ノ條ニアリ、, 長元年十二月二十, 略, 伊勢ノ分, 領, 文明三年三月二十三日, 四八五

割注

  • ○氏朝。春王安王ヲ其城ニ迎ヘシコト、
  • 永享十二年三月十五日ノ條ニアリ、
  • ○中
  • 一日ノ條ニアリ、
  • 長元年十二月二十

頭注

  • 伊勢ノ分

  • 文明三年三月二十三日

ノンブル

  • 四八五

注記 (26)

  • 1686,619,54,426行ひ給ひたり
  • 504,612,60,779城に楯籠り、關東さわかし
  • 495,2572,55,268かゝる處
  • 260,610,67,2225て、かく北畠殿をしたしみな何挙らる、けれと靜謐の後は國司一家を亡さ
  • 1436,634,69,2209へとも、俄に打亡すへからされを知りて、和議を調へらる、北畠殿も宮方の
  • 733,610,67,2229等、元弘建武此方武家押領したりしを、此度神宮へ返し附られ、國司をして
  • 381,615,64,2224に、もし宮方蜂起せと、天下の大事ならんと武家思ひめくらさるゝにより
  • 1788,629,67,2214さなくまし〳〵〓れき、叔父大河内顯雅卿うしろ見して、國司の事を攝し
  • 848,617,69,2225の六郷、多氣郡齋宮、飯野郡相可の庄なり、其外諸郡中にありたる神戸御厨
  • 1202,620,67,2223ふ、武家是を悦ひて、永享十二年に至て、世保氏の伊勢守護職を罷めて、專ら
  • 1319,617,70,2231勢ます〳〵衰微したるを見て、心ならすもしはらく是に從ひて和睦し給
  • 1083,617,68,2227國司の成敗にまかせらる、但し長野一家、關一黨は足利家に屬しけり、此時
  • 1555,621,67,2222滿雅朝臣打死し給へと、北畠殿の武威未落さりたれき、武家心にくゝおも
  • 965,616,69,2229伊勢の國の分領をけためらる、先神三郡といふき、度會郡山田の三保、宇治
  • 613,614,70,2227奉行せしめらる、此頃下總の結城氏朝、足利持氏の子春王安王をもりたて
  • 1908,1203,65,1642教具朝臣わづかに七歳にて家を嗣き給ふ、あまりにを
  • 528,1409,46,1150○氏朝。春王安王ヲ其城ニ迎ヘシコト、
  • 484,1415,45,1081永享十二年三月十五日ノ條ニアリ、
  • 1714,1064,38,112○中
  • 1906,644,40,481一日ノ條ニアリ、
  • 1945,631,50,544長元年十二月二十
  • 1670,1064,38,40
  • 1008,246,42,172伊勢ノ分
  • 964,246,42,40
  • 164,677,45,432文明三年三月二十三日
  • 153,2417,45,124四八五

類似アイテム