『大日本史料』 8編 10 文明9年是歳~同10年12月 p.380

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則士卒進戰て、大に勝て、終に其城を拔と云々、, 小机は先手習の始にていろはにほへとちり〳〵に成る, 三保と云所に楯籠る、太田道灌村山に陣を取、舍弟圖書助、同六郎、大將とし, 勝難しと也、道灌公士卒に語て曰、能兵を用る者は、兵の多少によらす、威に, て奧三保へ馳向、敵本間近江守、海老名左衞門、甲斐國鶴瀬乃住人加藤、其外, 彼國境乃兵とも相催し、同十四日、逆寄に責來、太田圖書助資忠眞先に進み, 防き戰ふ、海老名左衞門を初として、敵數多討取ける、道灌も村山の陣より, 江城を攻ける時、敵は多勢、味方は小勢なりける、家臣申候は、小勢は大敵に, 乘ルには不如、吾今俳諧の歌をよみて士卒を勵ますへし、聲に應して進戰, へとて、, 押寄る處に、敵は敗軍す、追懸て甲州乃境を越へ、加藤か要害へ押寄、鶴河所, と云所を放火して歸陣す、同十七日、荒川を越、鉢形と成田の間に陣を取, 〔鎌倉大日記〕四月十日、武州小机城沒落、, 〔太田家記〕道灌公若年より城を攻、邑を圍而、自進み戰給ふ所許多也、小作, ○定正、道灌ト共ニ、豐嶋泰經ヲ武藏平塚城ニ攻メテ之ヲ陷レ、其殘黨, 諧歌, ニ陣ス, 道瀧ノ俳, 道灌村山, 鶴河放火, 文明十年三月二十日, 三八〇, 文明十年三月二十日

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  • 諧歌
  • ニ陣ス
  • 道瀧ノ俳
  • 道灌村山
  • 鶴河放火

  • 文明十年三月二十日

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  • 三八〇
  • 文明十年三月二十日

注記 (23)

  • 307,636,62,1364則士卒進戰て、大に勝て、終に其城を拔と云々、
  • 428,712,59,1913小机は先手習の始にていろはにほへとちり〳〵に成る
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  • 773,635,66,2210勝難しと也、道灌公士卒に語て曰、能兵を用る者は、兵の多少によらす、威に
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  • 1474,645,67,2209防き戰ふ、海老名左衞門を初として、敵數多討取ける、道灌も村山の陣より
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