『大日本史料』 8編 18 文明18年正月~同年8月 p.783

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り、當所の後右山の手より十條邊入堀まて山續にて、此邊不殘道灌領分, る故、用事のために道灌當所を陣屋として、時々來り暫滯留せり、故に後, 知之由、, 海近く不二の高根を軒端にそ見る、此亭の名を以て、當所の寺號とす、太, 一豐島郡岩淵領稻付村の靜勝寺と云寺院は、太田道灌の江戸よりの砦な, と名付け、常に是に入て靜座し、或時は歌を吟し樂めり、我廬は松原遠く, 由緒の僧、其所に居て、菩提を吊ひしより、つひに寺となりて、道灌山靜勝, 田攝州の家は、道灌の末たるに付て寺領二十石被添、資宗の子息資次を, に沼を構へ、要害を設け、江戸、岩槻の繋とせり、道灌死後、此陣屋荒たるを、, 寺と號す、道灌時代、今の江戸の御城富士見櫓の所に慰所を建て、靜勝軒, ふる所は誤なり、, 自得院と申を以、當寺の山號を自得山と改め、今程は住持も太田家の下, なり、本城は江戸にて、岩槻城には主君扇谷の上杉居城に付、其間少し隔, れは、其首にむかひて、かゝるとき云々と見えたれは、松田物語并世に傳, 〔望海毎談〕靜勝軒, 文明十八年七月二十六日, 勝寺, 岩淵稻付, 道灌山靜, 道灌陣屋, 自得山ト, 趾トノ説, 改ム, 七八三

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  • 勝寺
  • 岩淵稻付
  • 道灌山靜
  • 道灌陣屋
  • 自得山ト
  • 趾トノ説
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  • 七八三

注記 (24)

  • 1427,728,74,2106り、當所の後右山の手より十條邊入堀まて山續にて、此邊不殘道灌領分
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