『大日本史料』 8編 19 文明18年9月~長享元年2月 p.234

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にて候、, 倉掃部上下八人は、御殿の下に踏留、敵を待候處に、宇治衆此由を聞候て、, 甲兵五百計と而寄せ、又軍勢も登せ申候籠ヲ宇治衆一圓に切通まてお, つ越候て、るりて未剋御殿に火を掛、其身は御殿の丑寅の角に腹を切畢、, を貳三度責るといへとも、其日は不落候間、宮山に壱〓らすして落候、榎, 方とつて返し、かみの城を乘取、彼城に籠る、山田悉く燒亡、又山田勢彼城, 良從七人は則りみの城へ又切て掛り、敵を討取、終に其身も頓て皆討れ, を責る、山田勢防き戰、國司勢を八百計討取、山田勢勝軍たり、然る後又國, れ候て被居候を、宇治衆惡黨の敵かと存、岩殿こ而討れ候間、頓而岩殿新, 候、是は十二月廿二日也、山田の地下は一圓と燒申候、其時のいみは百日, 正殿、退艮方切腹、山田人屋悉燒亡、百日穢、, 一文明十八年丙午十二月廿一日、岩殿ニ而二見殿と申人、御殿の燒候時隱, しく御立候て御供參候、, 同十八年十二月廿二日、榎倉掃部武則放火於外宮, 按、内宮舊記ニ、兩宮トモニ三十日穢トアリ、外宮ノ事ヲ具ニ不知故ト見, 〔禁忌集唾〕, 文明十八年十二月二十二日, ○神宮文, 庫所藏, 山田勢ヲ, 武則等ヲ, 宇治衆ト, 八百餘討, 攻ム, 具方ノ兵, 宮神殿ニ, 具方ノ兵, 宇治衆外, 二見某岩, 物忌百日, タル, 殿ニ死ス, 攻ム, 二三四

割注

  • ○神宮文
  • 庫所藏

頭注

  • 山田勢ヲ
  • 武則等ヲ
  • 宇治衆ト
  • 八百餘討
  • 攻ム
  • 具方ノ兵
  • 宮神殿ニ
  • 宇治衆外
  • 二見某岩
  • 物忌百日
  • タル
  • 殿ニ死ス

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  • 二三四

注記 (34)

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