『大日本史料』 9編 7 永正14年7月-永正15年5月 p.268

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まらす、剩へ榎倉の一類村山掃部助武則か下知として、此年十月廿四日よ, 保盡く燒拂ひ々にき、榎倉一類宮中へ走り入り、御殿の下に楯籠〓り、國司, におほして、山田へ仰せ下さるゝ旨ありといへとも、山田衆一向にかしこ, せ給ひ、いそき勢をそ催さる、武則こ〓を聞き、もとより倔強のしれ者なり, 從ひ奉らす、結句かくの〓きやるまひ言語道斷なりとて、國司いとく怒ら, 田勢にわたし合ひ、さん〳〵にろずやふり、おしずゝひて攻め入り、山田三, は〓き、神三郡の諸家をかたらひ、國中へうつて出んと議したり々り、去程, とり、大綱を川中へ流しか〓て、きびしく防き戰ふ、國司の勢是を事ともせ, す、鯨波をにくるやいなや、先陣澤、秋山眞先にいさみ進みて川を押渡り、山, 宇治衆やむ〓を得す、目安廳宣を以て、多藝殿へ訴訟せり、國司餘義なき〓, 惑に及ひらり、是によりて、再ひ此由多藝殿へ訴へ申す、國司の御仕置にも, り、内宮の通路を一向にととむるによりて、宇治衆粮米以下よろりの事迷, に、同二十日、國司の軍勢宮川の西岸に打臨み々るに、山田勢東川原に陣を, 勢おしよせて腹を切らさき、神殿を穢し奉らん恐れあり、只をひき出して, うち取るにしろすとて、種々計略をめくらすとこあに、同二十二日の早天, 外宮榎倉, 武則等材, 一類村山, 親ニ抗シ, テ滅亡ス, 永正十四年十二月十三日, 二六八

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  • 外宮榎倉
  • 武則等材
  • 一類村山
  • 親ニ抗シ
  • テ滅亡ス

  • 永正十四年十二月十三日

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  • 二六八

注記 (22)

  • 1613,695,68,2187まらす、剩へ榎倉の一類村山掃部助武則か下知として、此年十月廿四日よ
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