『大日本史料』 11編 4 天正11年4月 p.250

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方の勢追詰る、柴田殿は已前より柳ケ瀬の上の山御城構有之、御本陣と, と引組て首を取、則大閤樣へ御見參ニ入、無比類御働哉と諸軍勢申合つ, 兵を數多左右にして、鑓先を揃討て出る所に、よせ手の人數多しと申内, るよと人々悦の聲を上て、互に笑顏見へ申候、終に此軍は北の負にて、味, す、諸軍勢は散々なれ共、此義も柴田殿御旗印立て、堅固に見へける故、味, を目に懸て御陣をすへらる、, 程に、扨柴田殿よと寄手衆心を付る程と、左はなくて毛受庄助と名乘て、, 瀬の上丸山と申を、御本陣構へ御普請有て、これを柴田殿の御本陣と申, 馬印金の御幣、其時大閤樣へ差上て、夫ゟ板取、今庄、湯尾あたりニ、府中城, 申つる、終に北の負になりて、諸勢〓〳〵くに敗軍す、柴田殿以前ゟ柳ケ, に、木下美濃守殿、其時半右衞門殿と申つるか、名乘掛てさしよせ、庄助殿, 方の勢を押止て、追取卷て攻らるゝに、城中ゟ門を開て切て出ると見る, る、柴田殿早北の庄へ御缺落有て、如此被仰置と申な□き、則柴田殿御, 事なり、太閤其時岐阜に在て、佐久間玄蕃、中川瀬兵衞を攻るを聞と、飯を, 〔老人雜話〕一志津嶽の軍は、太閤一代の勝事、蟹江の軍は、東照宮一世の勝, 天正十一年四月二十一日, 下略, ○上, 半右衞門, ト稱スト, 羽柴長秀, 賤嶽役ハ, 初メ木下, 營ヲ圍ム, ノ勝事, 秀吉一代, 勝家ノ本, ノ説, 二五〇

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  • 下略
  • ○上

頭注

  • 半右衞門
  • ト稱スト
  • 羽柴長秀
  • 賤嶽役ハ
  • 初メ木下
  • 營ヲ圍ム
  • ノ勝事
  • 秀吉一代
  • 勝家ノ本
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  • 二五〇

注記 (29)

  • 1680,697,65,2141方の勢追詰る、柴田殿は已前より柳ケ瀬の上の山御城構有之、御本陣と
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  • 980,698,65,2143兵を數多左右にして、鑓先を揃討て出る所に、よせ手の人數多しと申内
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